Grice’s Conversational Maximsから、嘘ってなんだろう、と考える。

語用論に興味のある人なら一度は出会う、Gricean Theory。
言ったことと伝わったことは、必ずしも一致しないってこと。

“maxim”は“公理”とか“格律”とかいわれても、私の日本語レベルではぜんぜん理解できないので、荒っぽいのは承知で、“理想とされる状態”とでも訳しておこう。

グライスの考える“会話における理想的な発言”は、以下の4つのポイントを満たす。
  1. 真実であること
  2. 過不足がないこと
  3. 関係があること
  4. はっきりしていること

なので
  1. 虚偽とわかっていることや根拠のないことは言わない。
  2. 提供する情報量は必要以上でも以下でもいけない。
  3. 関係のないことは言わない。
  4. 曖昧なことや長ったらしい言い回しは避ける。
というようなルールが生まれ、それに反する=何か意図がある、というサインになる。

たとえば
  1. 「間違ってるかもしれないですけど…」
  2. 「もうおわかりだと思いますが…」
  3. 「それはそうと…」
  4. 「わかりにくくて申し訳ないのですが…」
などというのはあえてルール違反を犯すための前置きで、腰の低いふんわり感を出している。
つまり、伝えたい内容とは別に「柔らかめに受け取ってほしい」という話し手の意図が表れている、というわけだ。

さて。
これを使って“嘘”を説明することはできないかな。
やってみよ。

嘘の定義は千差万別で、ある不実を「こんなの嘘に入らない」と思う人もいれば、「大嘘だ」と責める人もいる。
語弊はあるが便宜のため、前者を“嘘使い”、後者を“嘘嫌い”と呼ぼう。

嘘使いは嘘に対する意識が比較的低い。
できない約束やその場しのぎの言い訳をつい口にしてしまうという自覚はあっても、それらを嘘だとまでは思っていない。

初めから「たぶん実現しないけどなぁ」と思っていて、雰囲気で「できるよ!」と言っちゃうこともあるし、言った時点では本気で「できる」と思っていたけど、よく考えたら、または予想外の展開により、「できない」ことになってしまい、できなくなったとは言い出せずそのままにしておいたら、結果的に「できる」という過去の発言が現実と合わなくなった、というパターンもある。

Grice’s maximsの観点から言うと、嘘使いはルール違反の常習犯である。
発言より言外の意図を重要視しているとも言える。
「そりゃ確かにそう言ったけど…、でも、普通わかるっしょ?」というわけだ。

一方の嘘嫌いは、ルールは守るもの、と思っている。
言ったことはやるし、できないことは言わない。
約束や説明に厳しい。

“嘘”と認定される範囲は、嘘使いと嘘嫌いでは大きく異なる。
で、「嘘をついたわけじゃないよ」vs「嘘つき」のケンカが勃発したりする。
同じ人が場面に応じて立場を変えることもある。

嘘使いに「では嘘に入るのはどんなこと?」と聞くと、利害や損益に関わる毒性のあるものに限定されるらしく、真実に反するかどうかは問題ではないようだ。

嘘使いはルール違反を必要な要素と捉え、容認どころか積極的に取り入れる。
潤滑油・クッション・オブラートを愛用し、行間を読み、雰囲気を察し、ぼかしぼかされ、なんとなくなコミュニケーションを楽しむ。

嘘嫌いから見れば違反は違反。
誤りがあれば訂正し真実に近づくよう努める。
余分なことはなるべく控え、正義・誠意・責任をもって慎重に発言する。

ふぅむ。おもしろくなってきた。
もうちょっと考えよう。

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