難しい決断をするときのこと。
以前どこかにも書いているが、私の重要なことに対して私には決定権がない。
日頃は世間がどう思おうと思うまいと、我が道を肩で風切って、大股で闊歩して高笑いしているような傍若無人のやりたい放題のくせに、難しいことを前にすると、途端にへにゃへにゃになって、ひとりでは何ひとつ決められない。
私には私のことをよく知ってくれていて、私のために意見してくれると私が勝手に思っている、株主のような人がいる。
重大な決定事項が発生したら株主総会を開く。
早い話、「どうしよう、どうしよう」と周りを巻き込む。
寛大なる株主は緊急招集にも関わらず、ほとんどグチ状態の私の問題提起に耳を傾け、「こうしたら」とアドバイスを出してくれる。
しかし私自身もわずかながら株を保有しているので、素直に飲むことができない場合もある。
で、「なんでよ?」と食ってかかったりする。
すると心の広い株主は、ご丁寧に根拠を説明してくれる。
第三者は当事者よりも理論的なものだ。
とうとう私は説得されてしまう。
というか、株主がそこまで言うなら、たとえ騙されちゃってもまぁいいかな、という気になる。
こうした活動を何回か繰り返す。
それぞれの株主がそれぞれに意見をくれる。
不思議なのは、バラバラに聴取するこの意見が多くの場合、ほぼ一致していること。
株主たちに横のつながりはないはずなのに。
ひょっとしたら、いろんな人と話すうちに私の気持ちが固まってきて、それによって私の話し方にバイアスがかかるため、結果的に導き出される意見が揃いやすくなるのかな。
また気持ちが固まることで、意見の受け止め方にも一定の方向性が現れ、たとえ株主から完全に中立な意見が出ていても、私の耳にはなんとなく”Go”と聞こえるようになるのかも。
で、そのゴーサインに背中を押されて、さらに気持ちが固まる、という循環が生まれる。
ここまで来たら決断はできたも同然。
閉会の合図だ。
「止めておけ」という意見についても同じことで、「止めておけ」と言いそうな人を相手に選び、その人に「止めておけ」と思わせるように話を展開し、実際にそう言われているかどうかはさておき、私の耳に「止めておけ」と聞こえるのなら、つまりその「止めておけ」は私が思っていることなのかも。
深層心理とかいうのかしら。
いずれにしても決議は株主たちから授かったものとして、絶対的な権限がある。
その場では「マジかよー」と不満に思うものが多いが、それに沿ってしぶしぶ行動計画を作り実行する。
終わってみると「なるほどねー」となることが多い。
このシステムのおかげで、これまでのところ大きくコケたことはない。
後悔につながることもない。
仮に失敗だったとしても、夏と冬に開かれる定例の決算報告会でネタになるしね。
儲けを出せるとは思わないけど、株主のみなさまになるべく損をさせないように、不祥事を起こして大暴落しないように、今後とも努力してまいらねば、ね。