『がんばって』

『がんばって』という応援の仕方を擁護してみる。

特に長期的な頑張りが必要な状況で“『がんばって』と言うこと”がなんとなく敬遠されて、『楽しんで』とか『無理しないで』の方が好まれるようになった。

『がんばって』はよくないよ、と誰かが言ったから、『がんばって』が使いにくくなった。
でも、言い方を換えたところで、『がんばって』な気持ちはあいかわらずある。
本当は『がんばって』と言いたいのに、言わないように気をつけて他の表現を探している場面に出くわすと、なんだか不便だねぇと思う。

『がんばって』が疎まれる理由はいろいろあるけど、どれもこれも『がんばって』のせいじゃない。
それなのに『がんばって』ばかりが叩かれるのは濡れ衣というものだ。

「言われなくてもわかってるよ」と言うなら、『楽しんで』も『無理しないで』も同じこと。
声をかけることができなくなってしまう。
放っておかれたら寂しいくせに。

人を追い込むのは『がんばって』という言葉じゃない。
もっと言えば『がんばって』と言った側の人でもない。
『がんばって』という言葉の後ろにある気持ち、つまり、『がんばって』と言ってくれる人の心が読み取れないところにこそ問題がある。

たとえば『がんばって』と言われてプレッシャーしか感じられないのなら、それは言語能力が低下しているサインだろうと思う。
言葉の奥行きを味わう能力は備わっているけれど、たまたま不具合が生じている、というのなら、解決策は『がんばって』を引っ込めることではなく、機能を回復させることだ。
負担やストレスを軽減させて、発想の転換を図り、「よし、がんばるぞ」と思えるように軌道修正すればいい。

一時的な不具合でないとすると問題はさらに深刻。
ことばから広がる世界があまりにも狭い。
成人母語話者としてはかなり残念なレベルだ。

辞書の筆頭の語意だけを見て満足するように、ことばの上っ面をすくう癖をつけてしまうと、そのことばの遣われ方にまで考えが至らず、軽率な、しかも過剰な反応を示しやすい。

実際、ことばとじっくり向き合えないタイプの人は、誤解やイライラに振り回されたり、自らの理解力不足のために無駄に傷ついたりすることが多いように思う。
これは一朝一夕には修正できない。

だとすると、この程度の言語力の人を相手に『がんばらないで』系の表現を聞かせ続けるのはとても危険ではないだろうか。
もしも真に受けられたら、楽しいことだけ選んで無理をしないで、お気楽に、その場しのぎで生きている人だらけになってしまう。
日本人をぐにゃぐにゃにしている原因は、案外こんなところにもあるかもしれない。

頑張ってほしいことも、頑張らなきゃいけないこともある。
決意や意志や責任感を持った人に対し、愛情や期待を込めて応援する。
その気持ちを言葉で伝えたい。

『がんばって』でいいじゃない。
正しく理解して、前向きの力をもらって、頑張ったらいいじゃない。

「『がんばって』」への4件のフィードバック

  1. >
    ありがとうございます。
    もし何かお手伝いできることがあればお知らせくださいね。

  2. >
    emiさんのブログ、これからも楽しみにしています!
    今は右も左もわかりませんが、emiさんのおっしゃる通り
    本当に案ずるより~ですよね。よろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。