持ち前のプライドの低さを利用して、自らナマ教材になってみた。
学期も大詰めを迎え、個別に扱ってきた理論を総括し、整理する段階に入った。
たとえば一口に“言語力”といっても、言語内でのレベル(語彙・形態・音韻・文法・談話)、書き言葉と話し言葉、専門的か日常的か、知識と運用能力…などなど、切り口がいろいろある。
今日の授業では、こうした分類に必要な項目を紹介した。
知識を知識のままにしておいては意味がない。
学んだことをぜひ教室で生かしてほしい。
昨日、この授業の準備をしていて、知識を実践につなげていくために、具体例というかサンプルがあったらいいなぁと思った。
生の第二言語データを使って、さまざまな角度で分析する練習を一度しておけば、今後、それぞれが自分の生徒の力を測る時にきっと役立つ。
で、思い切って、私の英語力を評価させてみることにした。
本音を言えばさすがにちょっと抵抗があったが、私は学生たち全員が平等に観察できる唯一の対象であり、私の英語はこれまで3か月をかけて、読み書き・聞く話す・公私・異文化コミュニケーションなど、実に多角的なチャネルを通して学生たちに提供されてきている。
こんなに手っ取り早いデータはない。
ならば一肌脱ごうではないか。
クラスでいちばん英語の下手な人が講師となって、第二言語習得の理論を教えるなんて、アメリカ大学院史上初かもしれないし。
レクチャーに続いて、「今日のアクティビティは、私にとって厳しいものになるかも」と前置きし内容を説明。
小グループに分けて、“評価レポート”という題のワークシートを配布。
「ESLの先生であるあなたが、私を生徒として受け持ったと思ってください。ワークシートにある10項目に沿って私の英語力を分析し、生徒のためになる評価とフィードバックを作成してください」。
学生から”You are so brave”という声が。
褒め言葉として受け止め、「みんなの勉強のために使えるものはなんでも使わなきゃ」と返す。
「えーemiを評価なんてしたくない」とか言っている学生もいるが、もちろん本来の目的は分類項目を正しく理解し、分析の練習をすること。
真面目なアクティビティとして取り組んでもらう。
いつものようにディスカッションに混ざりに行くといくらなんでも話しにくそうなので、今日は少し離れて全体を見ていた。
25人の英語の先生がプロの目で、私の英語力を細かく評価してくれるなんて、贅沢といえば贅沢なことだ。
とはいえ教室で結果を見る勇気はなく、帰宅してから各グループのレポートを読んだ。
ドキドキ。
んんーむ。激甘だ。
指摘と呼べるところはほんの数か所。
もっとあるでしょう?
アプローチとしては間違っていないし、項目の理解は深まったようなので、アクティビティとしても失敗ではないけど、どうやらみんなに気を遣わせちゃったみたいだな。