“成長痛”ってのは、ちゃんとした医学用語ではないらしい。
年上のいとこHくんは中学生ぐらいの時、「急に背が伸びたからヒザが痛い」と言っていた。
痛いのに極端に弱い私はそれだけで「中学生になりたくないなぁ」と思った。
だが私には成長痛は起きなかった。
痛くないのはよかったが、背がたいして伸びなかったせいだと半分がっかりした。
近年の研究では、成長痛の原因は骨など身体的なものではなく、精神的なストレスにあるという見方が有力らしい。
だとするとのんびりした親に育てられた一人っ子の私には、もともと現れにくい症状だったということだろうか。
なんだ。
じゃあもっと積極的に背を伸ばせばよかったよ。
それはともかく。
成長に伴う痛みというのはきっと存在する。
いわゆる“うつわ”がググッと大きくなるとき、私たちは鈍い重い痛みに襲われる。
眠れなかったり泣き叫んだりのたうちまわったり。
本人も周りもじっと我慢を強いられ、ただ時が過ぎるのを待つしかないような日々。
痛みに負けて心が折れてしまったり、自分を苦しめることに快感を覚えるようになってしまったら、それはもう“成長痛”ではない。
軽症のうちに回避したり、痛み止めを打って誤魔化したりする手はいくらでもある。
スマートに軽やかに生きるのも美学のひとつだろう。
そこらへんは個人の選択。
あいかわらず私は痛いのにはめっぽう弱い。
でも、まぁしょうがない。