知る

「知らなくていいことは知らなくていい」がモットーなので。

人類の歴史、なんて壮大なテーマを扱うつもりはないが、どうやら人間は「知りたい、知りたい」でずぅぅっと来ているっぽい。
で、まぁ見事に望みがかなって、かなりのことが知れるようになった。

私には“知る”ということが美化されすぎているように見えて、とっても気持ちが悪い。

せいぜい100年ぽっちしか生きられない個体のくせに、知識を蓄積し伝達することで、自己にも他にも与える影響をどんどん拡大する。
これは、たぶん人間だけに与えられた特徴なのだろう。

“影響”にも“特徴”にも良いのと悪いのとがある。
同じように“知識”も一長一短でなければフェアじゃない。

たとえば教育において、“教える”ということには“知識の伝達”が含まれる。
しかしこれに伴う危険があまりにも軽視され、無防備に余計なことを知ることにもなる。

平たく言えば、“知る”ことにより、『良いことだけが吸収され受け継がれていき、悪いことは教訓として生かされ排除される』なんて、虫のいい話あるかよ、ってことだ。

犯罪は連鎖し過ちは繰り返される。
こんな根源的なことを“知る”で解決できるなんてロマンチックな幻想が、なぜ止まらないのか。

“知る”が崇拝されている世界では、盲目的に知識を追求することから逃れられない。
知ろうと思いさえすれば、食ったり寝たり遊んだりする時間をすべて削って、一生を捧げても、はるかに足りない量の情報が手に入る時代になった。

かき集めても知りきれなくて挫折する人がいる。
自分で集めた情報に押しつぶされる人もいる。
それでも情報は容赦なく溢れ出してくる。
“知る”ことで解決できるはずだったことは解決されず、残されるのは“知る”が生み出した問題の山だけじゃないか。

“知る”ってそんなにいいことかよ?

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