料理

「料理ができる」ということを言うこと、について。

「料理ができる」ってのは、割とはりきって発表することなのかな。

まぁ私も食はなにより大事だと思うし、「料理ができる」のは悪いことじゃないから、いいんだけどさ。
食べなきゃ生きていけないんだし、メイドやコックを雇ったり、外食だけで生活している人はほんの一握りだろうから、家で何かしらの料理をすることは世界のどこでもさほど珍しくないと思われる。

要するに、だいたいみんなやってんじゃん?
よそ様にお知らせするほどのもんでもないような。

どんなにすごい料理が作れるとしても、自分や家族が好きじゃないものは作らない可能性が高いので、“作れるもの=作るもの”とも限らない。
つまりテクニックの話ではなさそうなんだな。

不思議なのは、普段は控えめなタイプの人も「料理ができる」に関しては結構がんばって披露したくなっちゃうんだな、という場面に時々でくわすこと。
“「できる」と言わない=できない”と受けとられやすい傾向は確かにあるが、誤解なんてものはいつでもどこにでもあるのに、なぜ「料理ができる」だけハッキリさせておきたいのかしら。
逆に「料理をしない」については、発表側に特殊な事情があったり、聞いた側から大きめのリアクションがあったりもする。

“「料理ができる」と言うこと”には、何か特別な意味があるんだろうね。
「毎日3回洗濯します」とか、「市販のパソコンは買わないで全部手作りです」とかとは、言う側のはりきり具合も、聞く側の反応も違うもんなぁ。

あえて男女差には触れないでおくけど、やっぱり“良妻賢母”のイメージ抜きでは説明が成り立たないような気がする。

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