ディスカッションタイプの授業と、時間配分について。
授業はシラバスに沿って動いているので内容的に逸れていくことはないけど、一回一回の授業における時間配分は、もう、グッチャグチャになっている。
ディスカッションをさせる授業ってのはそういうもんなのかしら。
ま、そもそも計画は私しか知らないんだし、アメリカの大学院生相手にアクティビティの時間を見積っておくこと自体、無謀なのかもしれないけど。
そういえば外国人のやる授業はガチガチの講義形式が多い。
予定調和っていうの?
それはあまりおもしろくないしなぁ。
たとえば今日はド頭に問題を与えて、小さいグループで相談しながら解いてもらった。
てこずっているのか楽しんでいるのか、とにかくなかなか進まない。
グループ内のディスカッションを聞きに行くと、それぞれ良い話し合いをしているので、たっぷりめに時間をとることにした。
(私の計画からすると完全な“押し”。)
頃合を見計らって全体での意見交換に移ると、今度は思ったよりずっとサラッと済んでしまった。
あらら。
ひとネタ余分に用意しておいてよかった。
先週も思ったことだが、ディスカッションの流れを見ながら進めていくというのはなかなか大変な作業だ。
じっくり話し合って考えてほしいところもあるし、深みにはまってほしくないところもある。
どんなにクラスが盛り上がっていても、ただの雑談では意味がないし、どこかで折り合いをつけないとまとまらない。
誰かの発言の中に不透明なところや適切でない箇所があった場合、黙認しておくわけにはいかないので、話を遮ってでも修正する。
発言者自身が途中で方向を見失うこともあるので助け舟を出せるようになりたいが、言葉の壁もありなかなか上手くできない。
活発なディスカッションを期待しても、あっさり全会一致で終わってしまうこともある。
本当にミズモノだなぁ。
教育の世界では、“TeacherからFacilitatorへ”が主流になっている。
言うは易し、行なうは超スーパー難し。
むつかしい。