Critical Theory (訳不明)のこと。
たとえば映画監督になるために撮影技術を習っている立場だったら、ジャンルを問わずいろんな映画を観ることが、監督として幅を広げるのに必要だろう。
ベタな恋愛モノが撮りたくても、ホラーを観させられることもあるだろう。
でも、映画監督志望だって、グロいの観ちゃったら夜中にトイレに行けない人もいるさ。
“勉強になる”と“観たくない”の板ばさみ。
研究手法を習うハカセのたまごにも同じようなことが起きる。
まぁ放っといたら専門分野の論文しか読まないし、殊勝な言い方をすれば勉強になるには違いない。
でも読みたくないものは読みたくないのさ。
以下、そういうアンチな心構えの偏った意見。
あるジャンルの人々は、”Power”というレンズを通して世の中を見ている。
このレンズを通すと世界のあらゆる構造が不公平で不均衡で不条理で、特定の人だけが常に損をさせられているように見える。
この見え方を軸にすると、平等を目指して是正することが何より大事に思える。
弱きを助け強きをくじくのが正義であり、そのために我々は立ち上がらなければならない、となる。
こうした世の中の“問題”が見過ごされているのは”Power”の存在が知らされていないせいで、レンズさえ与えれば誰でも“問題”が見えてくるだろう。
そこでレンズの無料配布みたいな活動をあっちこっちで精力的に行う。
「あなた、損してますよ。目を覚ましなさい。」というわけだ。
このいかにも引力のある考え方に、naiveな人は運命的な出会いを感じやすい。
「とうとう私を助けてくれる人が現れた」ってなかんじだろうか。
先に言ってしまうと、これは私の“アメリカから日本へ輸入させたくないものランキング”の上位に入る代物だ。
ジユーとビョードー+ヒーローの国では、この考え方がある程度の機能を果たす。
短期的かつ限定的に見れば改善のようなものも得られる。
この国の人たちはなぜか重要なことほど、「とりあえずぶっ壊しましょう。話はそれから。」で動かしていく。
日本の勧善懲悪にも似たようなところがあるが、時代劇の域を出ないというところに良さがある。
ぶっ壊された後のことを日本人はつい考える(と思いたい)。
悪代官の逮捕後、そのポストに誰を選ぶか。
果たして後継者は悪代官より良い仕事をするか。
ヒーローが高らかに笑って去った後、民衆は本当に幸せになったのか。
試しに無料配布でもらった”Power”のレンズをかけてみる。
今まで円満だと思っていた家庭は、親の“命令”と子の“我慢”でできているように見えてきた。
父は母に“服従”を強いていた。
教室では教師による“抑圧”が生徒の“自由”を奪っていた。
社会は“権力”と“欲望”と“カネ”でドロドロだった。
私が知らなかっただけで、世の中はこんな恐ろしいことになっていたのか。
今夜はトイレに行けそうにないぞ。
ふと我に返って”Power”レンズを外す。
すべてが元に戻った。
あぁよかったとほっとしていると、ヒーロー係の人たちに囲まれて「現実から目を背けてはいけません」と、レンズを押しつけられる。
諸事情があって今学期は発言を控えていたが、今日は勇気を振り絞って言ってみた。
I don’t know if raising awareness of power really helps us to get close to “the ideal.” I understand that, if we compare power sharing to something like command-obedient relationships, it may seem to be an improvement. But I wonder why we have to see power in every situation, including a relationship like collaboration.
If I start looking at the world through the power lens, I might find more battles and fights than I see now. I don’t know if that means I become wise, realistic, or overreacting.
予想通りクラスは「世の中は”Power”でできているのだから」で一致。
Issues of power, whether they are in a classroom setting, work setting, or a relationship exist everywhere. I believe that this is part of the foundation of social justice, to bring to light this imbalance in power and to
attempt to improve the situations by giving power to those that have less. I am not sure if you can look at any situation without acknowledging that power issues exist, it is difficult for me. I think that you are getting at
a very philosophical question, which goes beyond looking at education, to humanity. I do not have any good answers to the question, although I believe that if we acknowledge that imbalances do exist, and if we use our own personal power to change what we can, and make it better for others, who may have less, then we are working towards the better good for all.
アメリカ的な生の意見がたくさん聞けてよかった。
“Yes, We Can!”ですものね。
こうして”Power”レンズは、数ある私の“日本に入ってきてほしくないこと”の中でますますランクを上げた。