ハカセのたまご

“ハカセのたまご”なのかな。
なのかも。

「えぇぇ?知ってたなら言ってよぅ!」
「そんなこと当たり前だから、わざわざ言う必要ないと思ってたよ。まさか知らなかったなんて。」
…という『いまさらビックリ』がよくあるが、これもそのひとつ。

どうやら私、“ハカセのたまご”らしい。
すでに1年半ほど経過している。
遅!

きっかけは、教育の機会均等についてのディスカッションで、クラスメートのKが「PhD学生になって初めての授業の夜のことを、僕は一生忘れないだろう」と言ったこと。
「とうとうこのレベルの教育が受けられるんだ。親戚の中で初めて、僕はここまで辿り着いたんだ、と、とても感動した。誇りに思う」とな。

もちろん私にも、“PhD学生になって初めての授業の夜”はあった。
でも“第1週=緊張度Max”というのは毎学期のことで、それ以上の印象はない。
そんなのはもう6回も味わっている。
ちなみに来学期もきっとまた味わう。

なにしろいまだに、「明日には緊急帰国かも」とか、「今学期こそ挫折だ」とかしょっちゅう思う。
もともと裏口入学だしね。
同じ立場の人が、「とうとう博士課程まで来たんだ」という、感慨というか達成感みたいなものを抱いていたなんて、考えたこともなかった。

ふむ。

このことと、A教授がDistinguished Professor (著名教授?)に選ばれたときの式典の記憶とがつながった。
そもそもK教授が、「せっかくの機会だから」と授業を半分つぶしてまで、私たちを式典に出席させる意味がわからなかった。
A教授は教育学部の長なので名前は知っているけど、授業を取ったこともないし専門もあまり近くない。
面識のない教授が昇進したからって、私たちと何の関係があるんだ?と思った。

A教授のスピーチは素晴らしかったし、友人で同僚の教授陣からのお祝いも微笑ましく、立食パーティーもあって、式典そのものは別に悪くはなかったけど、学期も押し迫ってみんな忙しいときに、貴重な授業の時間を遣うほどのもんかねぇと思った。

でもその後、教室へ戻り、クラスメートたちの感想を聞いて驚いた。
「ほっほぉ、そういうわけだったのか!」と。

クラスメートたちはA教授の功績に、“自分がこれから向かう道”を重ねていた。
K教授の意図もそこにあった。
わかっていないのは私だけだった。

そして今日のKの発言と、クラスメートたちの反応を見て、「ああ、この人たちは近い将来博士になるんだね。そのためにがんばってるんだね」と思った。
彼らは私より年上だけど、未来へ向かっていく青年たちを応援するオヤゴコロ的な気持ちになった。

で、ふと、「ん?私も?なの?か?」となった。
博士課程にいるというだけでも、研究や論文の計画を進めているだけでも、“ハカセのたまご”に該当しそうな気がしてきた。

そういえば博士課程の人たちは、学界全般や研究者集団を”we”と呼ぶ。
私はクラスメートも含め”we”のみなさんを、ずっと”they”だと思ってきた。
でもひょっとしたら、その”we”に私も入れられているのかも。

“卒業予定日”という欄に出くわすと、「卒業はたぶん無理だろうけどねー」と心の中で思いながらも、いちおう日にちを記入する。
考えてみたら卒業予定日とは、博士号を取得する日のことじゃないか。

んんんーむ。
どうしても私のこととは考えられない。
違和感がありすぎる。

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