Perspectives

完全な善と完全な悪の対決だったらいいんだけどさ。

「完全」の時点でありえないのに、それがふたつ同席するなんて、ますますありえないよなぁ。

誰も間違っていなくてももめごとは起きる。
というより、なんだか具合の悪い事態になったとき、誰かがはっきりと間違っている、なんてことの方が稀なのかもしれない。

大学受験のときのこと。
すべり止めで受けた大学から合格通知が届いた。

合格通知というのは同時に、入学の意志を確認するための書類でもある。
期限内に入学金を納めないと、合格はしていても入学させてもらえない。

期限までは数日あった。
その間に優先順位の高い大学からも通知が来るので、それを受け取ってからでも遅くはない。
高校生といえども用意周到な私のこと。
ちゃんとそういうふうになるように受験のスケジュールを組んでいたのだ。

ところが朝になったら、母がすまなそうな顔で「入学金、いちおう振り込んできた」と言う。
郵便事情やら何やらで万が一入学が取り消されでもしたらと思ったら、気が気ではなかったのだ。

私は怒った。
すべての結果が出揃ってから手続きしても間に合うように計算してあったのに。
お金がもったいないじゃないか、と。

父も怒った。
これから来る通知を不合格だと思っているのか。
受験したemiさんに対して失礼だ、と。

母は怒られるのはわかっていた。
でも振り込まなければ心配で仕方がなかった。
怒られてもいいから安心したかった。

誰も間違っていない。
それでも全員がイヤな気分を味わうことはある。

これ実は楽しいときも同じだ。
誰が楽しませているとか何が楽しいとかは特になくても、そこに居合わせたみんなが楽しいってことはある。

幸い私は法律などに関わる仕事につかなかったので、「そうとも言えるねぇ。それもアリかもねぇ」などと暢気なことを言っていても許されている。

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