悔しがりや

“悔しがりや”について考え中。

よく使われている“恥ずかしがりや”や“寂しがりや”から類推するに、“~がりや”というのは、一般的には「別に普通じゃん?」な場面で過敏・過剰に反応してしまうことを言うようだ。
どこかに“平均”があって、それより多いと“~がりや”に認定されるんだろうね。
だからたぶん“嬉しがりや”とか“悲しがりや”などもいるのだろう。

“~がりや”の中でも“悔しがりやグループ”は、かなりの大所帯ではないかと思う。
言い方はいろいろだけど、要するに悔しいことが多そうな系列の人のこと。
比較的人気が高いのは「負けず嫌い」だろうか。
「貪欲」「理想が高い」「プライドが高い」は文脈によるけど、ややマイナス寄りかな。
「ケンカっ早い」「敵対心が強い」「被害妄想」はあんまり良い印象ではなさそうだ。

競争の世界では悔しがりやが重宝される。
悔しがりやの人がそちらへ進むと、大っぴらに悔しがることができる。
悔しがることが成長につながるという教えもある。

ところが心ゆくまで悔しがって、うっかり悔しさを出し切っちゃったりすると、もう悔しがれない恐れがある。
ずっと悔しがってるのも疲れるし。
また、つい勝ち続けちゃったりすると、悔しいタイミングがなくて困ってしまう。
悔しがりやのメンツにかかわる。

で、調和の世界に足を踏み入れる。
そこでは悔しさは煙たがられ、たとえ悔しくても見せないように抑えこまれる。
ストレスになりそうだね。
悔しいね。
やっぱり競争したくなるね。

悔しがりやさんは競争と離れても、負けても勝っても悔しい。
ややっこしい。

そういえば他の“~がりや”も、“~い”状況がイヤそうなことを言うわりに、わざわざ“~さ”を味わいに行ってみたり、“~い”と感じる範囲を広げたりするよなぁ。
よせばいいのに。
本当は嫌いじゃないのかな。

まぁ自由にやってもらえばいいんだけど、なんとなく体に悪そうだなと思って。

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