シタゴコロ

行動の基になっている下心みたいなものについて。

『私、良いことやってます』『身を削って世のために尽くしています』ということを全面的にアピールされて、うれしい気分になる人はあんまりいなそうだ。

強制的に感謝させたり見返りを求めたり。
せっかくの価値を下げてしまう態度ってのがある。
その行為や活動自体は確かにありがたくても、帳消しどころか、台無しになってしまう。

“正しい”を出発点にしていると厄介だ。
なにしろ“正しい”んだから、「間違ってるかもしれない」とは思いにくい。

たとえば“好き嫌い”だったら間違っている可能性はアリアリだし、もともと素直な構造だから非難も受けやすいが、非難される理由もわかりやすい。
“正しい”にはそんな余地がない。

“良い”もなかなか面倒くさい。
“~のため”も同じようなもんだ。
親切の押し売りと不親切では、どっちが人気なんだろうね。

さらにややこしいことに、多くの場合、本人は自分の下心に気づけない。
“好意”のつもりでいるから、拒否の類は反感を買う。
“無償の愛”はそうあちこちには転がっていない。

自他ともにわかりやすいのは、金銭を含む“儲け”や、地位や立場など“名誉”が原動力の場合。
“好かれたい”とかもあるね。

少し複雑なものとして、“他人の困りごとを養分にする”というのがある。
助けた、という実績を積む趣味のある人だ。
これは本人が自覚しているタイプの下心で、かつ他人には気づかれにくい。
通常この下心は表面化しないので、世間体を保つには最も効果的だが、考えようによっては最もしたたかで貪欲な下心とも言える。

それはともかく。
根底にどんな策略があろうとなかろうと、助け合いは必需品なんだからしょうがない。
実用ベースの物事において、美しさはあくまでも二次的であるはず。
「気持ちはあるんです」とキラキラ涙を流すより、タイムリーに役に立つ方が有効な場面は多い。
腹黒でもなんでも助かったんだからいいのさ、と割り切ってありがたがっちゃった方がよさそうだ。

デザインを重視しなければ、理不尽な要求も余計な葛藤も減りそうに思うんだけど、そうもいかないのかな。

「シタゴコロ」への2件のフィードバック

  1. 私のブログ記事にtrack back すると面白そう(?)
    一応Karma Yogi (Selfless service)に学ぶ身分なので、賛成はしかねますが、通常生活では全て事実でしょうね。

  2. >Kiki
    私心をなくすと楽しみも減っちゃいそうで。相手の楽しみを邪魔するのも悪いし。
    それに使い方を間違えなければ欲も自我も大事な栄養素だと思うのです。
    持ってるものをなくすのは私のような凡人には難しすぎるので
    代わりにコントロールする能力を身につけちゃおうという妥協案でもあります。

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