内向きの幸せ感、のつづき。
「…でもまぁ、本人は幸せなんだろうね」という言い方がある。
褒め言葉なのか批判なのかは別として、そのぶつけ方というか距離感が気になった。
「その“幸せ”とやらを自分は共有してないけどね」という含みがある。
“幸せ”という甘い響きを持たせながら、なんとなく孤独を感じさせるさみしさが混ざっている。
その微妙な雰囲気が何かに似ているなぁと考えていたら、“年寄り”という言葉に行き着いた。
赤ちゃんは生まれた時、たぶん本人的には“幸せ”じゃない。
幸せが理解できないのかもしれないし、新しい土地に出てきて不安なのかもしれないが、とにかく本人は幸せではないと思う。
にもかかわらず周りにいる人たちは、その赤ちゃんのおかげで幸せを感じる場合がある。
つまり、自分は幸せではないのに、周りを幸せにしてしまうというわけだ。
自分の“幸せ力”を100%外に放出している。
成長するにつれ、だんだんと自分を幸せにする力がついてくる。
好きなものを食べたり欲しいものを持ったり、楽しく遊んだりして、“幸せ力”を自分のためにも使えるようになる。
するとある時点で、内向き・外向きの幸せ量が釣り合う。
たとえば祝福されて結婚などすると、自分を幸せにしつつ周りも幸せにできる。
ところがそれを過ぎると、内向きの力が外向きを追い越してしまって、またバランスが崩れる。
さらに体力的にも精神的にも弱くなると、外向きの幸せ力はますます衰えて、自分を幸せにすることで手いっぱいになってくる。
内向きの幸せはIntrapersonalなので、他との関係を断絶しても成り立つ。
そういえばInterpersonalには面倒なことも多いし。
周りもそれを察してくれるのか、「…でもまぁ、本人は幸せなんだろうね」と距離を置くようになる。
言うまでもないがこの変化に年齢は関係ない。
年を重ねても、孫がいても、“年寄り”じゃない人はいくらでもいる。
逆にたった数十年で“年寄り”になってしまう人もいる。
アンチエイジングに興味はないが、惜しみなく外向きに力を出せる人は魅力的だと思う。