心が平穏になるつまらなさ、について。
喜怒哀楽がなかったら、ラクそうではあるけど、わびしいというかつまんないなぁ…ってことを考えていて、そんなようなことを以前書いたのを思い出した。
いろんなことがどうでもよくて、競争や比較に意味がなくなる。
“悟り”とか呼ばれるのはそういうことかな。どうでもいい穏やかな毎日は楽しいのだろうか。
退屈だろうか、悲しいだろうか。
それもどうでもよくなるのだろうか。
刀狩みたいに全人類の“悪”をすっぽり取り除けば、争いごとはなくなるかもしれないけど、生きていく力も一緒に奪われるような気がする。
感情を真っ平らにして、目に映るものをそのまま受け入れて、ただにっこりと日々を過ごしていく。
…うーむ。
本人は幸せかもしれない。
どうせ幸せは個人的なものだから、本人さえ幸せならいいと言う人もいるかもしれない。
たぶん、その疎外感というか、幸せが内側にだけ向いてる感じが好きじゃないんだな。
たとえ全員が幸せをそれぞれ味わっているとしても、他とのつながりを断って幸せを感じるってどうなんだろう、と思うわけよ。
傷つけ合わないように距離を置いたら、届かなくなるものが増えてしまう。
腹が立たない人より、本気で怒って、許して、愛せる人の方が魅力的じゃない?
何百人も生徒を持ったけど、思い出すのはやんちゃな順。
そういうもんでしょう?