たとえばあなたが、ある部屋に入ったとしよう。
先客がいる。遅かったのだ。
他の人たちはとっくに話し始めていて、あなたが入ってきたときには、もう皆がずいぶんと熱く語っている。
あんまり熱が入っているので話は途切れないし、誰もあなたに内容を教える余裕がない。
実は遅れてきたのはあなただけではない。
今ここにいる者は皆、話の途中で入ってきた。
だからこれまでの話の流れを最初から、すべて説明することは誰にもできないのだ。
とりあえずじっと聞く。
しばらくすると話の方向が見えてくる。
口を出してみる。
誰かが答える。
それに応じる。
あなたを援護する者がいる。
あなたを攻撃する者がいる。
反対勢力が現れる。
吉と出るか凶と出るかは、あなたがどんな支持者を得るかにかかっている。
ともあれ話は果てしなく続く。
ずいぶんと時間が経って
あなたはもう行かなくてはいけない。
そしてあなたは去る。
あいかわらず話は続いたまま。
出典:Burke, K. (1957). The philosophy of literary form. New York: Vintage.
“話”って何だと思う?
歴史、文化、伝統、知識、技術…?
“部屋”とはどこのことだろう?
脈脈と続く“話”にたった一瞬だけ加わる。
聞いてわかる内容はほんのわずか。
まして残せるものなんてたかが知れている。