未来

どうやら私は、未来の意味がわかっていない。

現在はわかる。
現在が刻一刻と過去になっていくのもわかる。
イメージとしては色のついた液体の先端がグイグイ進んでいくのをカメラで追いかけているかんじ。
その液体がすでに通ったところが過去で、これから通ることになる映像の枠外にある部分を未来と呼ぶっぽいんだけど、なんだかしっくりこない。

だって何が起きるかなんてわからないでしょ。
チューブが詰るか破裂するか、あるいは液体が枯れるかすれば、未来とやらはお蔵入りになる。
つまり未来の存在が確認できるのはいつも現在という先端が到達してからのこと。
現在が通る以前から、そこに未来が存在していたかどうか証拠がないし、確認できる頃には未来はもう“未来”ではない。

頭おかしい?

『将来の目標』や『予想』というのは、現在までの資料を基に現時点で推測できる範囲のものでしかないので、やはり所属は現在だと思う。
推測の向かう方角として、かろうじて未来をぼんやり感じることはできるけど、実際にはどこにも定められてはいない。

仮想というやつかぁ。怪しげだなぁ。

私は聞かれるのが嫌いだったから聞かないけど、多くの大人は子どもに「大きくなったら何になりたい?」と聞きたいらしい。
その子が“現在”をどう捉え(例:ケーキ屋さんという職業がある)、現在までに仕入れたどの情報を重要視して(例:ケーキはおいしい)、どんな推測ができるようになったか(例:ケーキ屋さんになれば毎日ケーキが食べられる)という成長過程の確認であり、決して未来を見る力(例:ケーキ屋さんになるかどうか)をテストしているわけではない。
余談だがこの質問は子どもに気を遣わせることもあるので、成長過程の確認ならぜひ他の方法にしてほしい。

現在の状況が計測済みで、思ったとおりに進む可能性が高いとき『予定』を立てるが、内容は同じである。
計測したのはすべて“過去”のこと。
複数のデータを組み合わせている分、根拠がしっかりしているから比較的ブレにくい。
義務や罰則を加えることでよりコントロールしやすくする。
それでも“現在”が通るまでは変更もできる。
未来はどこにも登場しない。

未来ファンの人は、その時が目前に迫ってきたり現在がたどり着いた頃には、そのまた未来へ移ってしまっていてもういない。
未確定・変動・不透明が好みなんだろうから仕方ないけど、私のような心配性はそれでは耐えられない。
繰り返すが来るのは常に現在で、ミライは待てど暮らせど永久に「未ダ来ナイ」のである。
誰も見たことがないものを信用できるほどの勇気もロマンもない。

日本語をはじめ、未来形を持たない言語は多い。
それにはそれなりの理由があるはずだ。

未来って何だろう。本当にあるんだろうか。
夢や希望はそれがわかってからだな。

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