大体力【だいたい・りょく】。
きっちり合わなくても、“だいたい”のところでOKが出せる能力。
今学期から強制的に入らされた統計学という世界は、最初っから「100%は無理!」と言い切って、95%ぐらいを目標とする。
どうせ例外や異物は混入するのだから、そのくらいのユルイかんじにしておけばいいじゃん、てことらしい。
長く文系という鉄壁の中で過ごしてきたので、理系と交わることになるまで、「あちらは何でもズバっと答えを出す」と思っていた。
が、どうやらそうでもないらしい。
理系からすれば、「文系はすぐそう決めつける」ってなもんだ。
「だってそっちは1+1=2じゃないの。こっちでは3にも4にもなるのに」と文系が主張すると、理系は「そもそも1とか2とかは適当に決めたんだよ」なんて言うから愕然とする。
「本当のところはよくわかんないけど、とりあえずこうってことにして話を進めてみようか」で始めてみたらいろんなことが発見できたらしい。
というか、そうでもしないと物事は始まらない。
言われてみればそんな気もする。
準備万端で臨んだって、うまくいかないことはいくらでもある。
あまり意気込むと引っこみがつかないし、予想外の展開に戸惑うことになる。
完璧主義の弱いところは、“ほぼ完璧”の素晴らしさを認められないことだ。
もとをただせばその“万端”やら“完璧”やらも、根拠もなくいつの間にか決めちゃっただけなのにね。
ダメモトの精神でテキトーにスタートすると、軌道修正や建て直しがしやすい。
意外にもうまく行けば結果オーライ。
有能な大人というのは、だいたいで動ける人のことかもしれない。
軽量カップやスプーンがなくても、おいしいごはんができたり。
ドレスのように細かいサイズもなく、ボタンやファスナーがピッタリ閉じることもないのに、着物が美しく着られたり。
昔の日本人は得意だったよね。
あ、そういうことか。
ところで“だいたい”は大人には有効だが、子どもには消化が悪く負担が大きい。
発達段階を考慮して、まずは「答えはこれ」というものから選んで与えたい。
ルールを理解するのが大事な時期もあるのだ。
子どもが成長して疑問を持つようになったら、「お、気づいた?」と種明かしをしてやればいい。
いつまでも答えにしがみつく傾向があったら、「ねえ、そうじゃないかもよ?」とけしかけてやればいい。
大人の都合で“まだ早い”とか“今しかない”とか決めないで、だいたいの用意だけしておく。
「今だ!」というタイミングは子どもが教えてくれる。
その日が来るのを楽しみに待とう。