修士はKnowledge user、博士はKnowledge producerだと言う。
学校というところに入学して以来、少しずつ知識を授けられ積み上げていく。
小・中・高・大学や専門学校はそんなかんじ。
修士課程では“賢い消費者”になる練習をする。
私の場合でいうならTESOLでは、どんな対象(生徒数・レベル・年齢)に、どんな教材(難易度・素材)をどう与えるか。
それぞれの場面で使える選択肢を多く身につけ、さらに素早く取捨選択ができるように訓練された。
博士に来て“生産者”に移行させられているのは日々感じている。
場を教室から学校・地域・政策へと、論点を教材から理論・思想・哲学へと移していかなければならないのはわかる。
山頂だか天空だかでのハイレベルな議論にはまだまだついていけないので、つい手の届く範囲に“下げて”しまう。
とはいえ仮にちゃんと力がついても、教室で生徒と時間を共にする、という根っこの部分はずっと持っていたいと思う。
Userの立場を忘れたProducerが作るものなどロクなもんじゃない。
私自身の英語が上達しないっぷりも、きっと役に立つ。
どうしたらもっと英語ができるようになるのかな。
どこがおかしいのかな。
どうしたら効果的に教えられるようになるのかな。
他に方法はないのかな。
全部そこから始まっている。
だからそこへ帰っていけばいいんだろうと思う。
う~ん、ありがたいお言葉。もう人を納得させられる能力を身につけていらっしゃるようですね。結局、初心忘れべからず、ということなんでしょうね。
>ももこさん
いえいえ、とんでもないです。
能力が身につかないので初心からあんまり進歩していないのかもしれません。