オリンピックの開会式を見て、多様性を思う人がいる。
よく日本で美容師さんに、「アメリカではどんな髪型が流行ってますか?」と聞かれる。
髪の色や質がほぼ均一の国では、ひとたびブームとなれば、縮毛矯正なんて荒っぽい方法でも全国を席巻することが夢ではないのだ。
たとえばそういう国に育った人は、肌の色や顔立ちや言語や衣装や、とにかくいろんなことが「さまざまなんだなぁ」と気づきやすい。
そうして“世界”を知る機会を得る。
では逆に民族や宗教や文化が混在して、“さまざま”が日常な国ではどうだろう。
近所に縮図があるんだから、わざわざリアル“世界”に出て行く必要なんてない。
毎日“世界”を見てるんだから、もう何もかもぜーんぶわかってますよ。
本当に、そう?