自信

このブログにも度々登場するが、本当にコイツは悩ましい。

今日のテーマは”Literate thinking”。
「学習者が知識や経験・価値観を基に、自分なりの方法で学習内容を多角的に処理し、さらに他の解釈の可能性をも探ること」。

…。
要するに、「これってこういうことかなぁ。こうとも言えるよなぁ。でも他の人は違うかもなぁ。」と、解釈の幅を広げる作業のこと。
最近では”Polysemic engagement”とも呼ばれるらしい。

K教授の計らいで、今日の論文の筆者であり”Literate thinking”の命名者であるB教授をお招きしてのディスカッションとなった。

私は先学期B教授のクラスを取ったので面識がある。
論文だけを見ると手厳しいので、ガンコじじいだと思っていた人もいるようだが、実はとても気さくでユーモアたっぷり。
クラスメートの多くが「会えてよかった」と言っていた。

“Literate thinking”は、生徒の学習へのengagement(参画?かかわり?)のいちばん高い状態のこと。
「やる気なし」「たまにちょこちょこ」「うまく行く時だけ」と、生徒のかかわり度が上がっていき、「与えられた範囲内で」「自らの興味で」「内容を熟知した上で」の、そのまた上に位置する。

ちなみに争点となるのは、「与えられた範囲内」でのengagementが、ほんの中間地点であるにもかかわらず、ほとんどの教育がここまでの到達でよしとして、応用力や深い理解を待たずに次の項目へ進んでしまうこと。
マニアックな話になるがPseudoconceptの議論と似ている。

それはともかく。
「“唯一絶対の正解を求めたり、ひとつの答えで全部わかったような気になるのはよくないよ”、“こういう結果が出たけど条件を変えたら結果も変わるかもよ”という意識を生徒に持たせよう」という考えは、反ステレオタイプ・決めつけ嫌いの私にとって、とても納得がいく。
学生の意見をよく聞くB教授らしい説だと思う。

前置きが長くなったが私の疑問は“自信との関係”。
「こうかもなぁ。でも待てよ」とやる作業は、自分の考えに疑いを持つことにつながる。
複数の可能性を加味し考えを巡らせることと、自信を持つことはどう両立するのだろうか。

で、質問してみた。
B教授はしばらく考え込んで教室がシーンとなった。
「…そんなにおかしな質問ですか?」と言ったら、笑いが起きて少し場が和んだ。
「いや、なるほど。考えたことがなかった」。

「自信というのがある程度ないと無理じゃないかな」という回答だった。
ふむ。
でも、たとえば自信があって始めても、他の可能性を考えれば考えるほど、その作業のために自信が失われていくような気がする。

ところでディスカッションというのは皆で作るものなので、こんなふうに淀むとお互いに助け舟を出すことになる。
K教授「ではLiterate thinkerになるためには、自信がなくてはならないということ?」
B教授「おそらくそうだろうね」
R「engagementが高まるにつれ、自信はついてくるんじゃないでしょうか」
T「生徒に自信をつけさせるためには、engagementを上げていかなくては」

んんー。
教育学のクラスでありがちな正論が出てしまった。
こうなるともうディスカッションの方向が決定してしまう。
せっかく流れ始めたものを力ずくで引き寄せるのはルール違反だし好みじゃない。

その後いくつかの質疑応答があり、B教授が退席し休憩になった。
このタイプの消化不良は珍しくない。
対面に座っていたMが近づいてきて、「emiが言おうとしていたこと、わかる気がするよ」と言った。
流れが変わったとき、チラッと目が合ったのを覚えている。
「ああなっちゃうと仕方ないもんね」。
そうなんだよね。
Mは地元マスコミにも取り上げられる前衛的な教育者だけど、協調性もあるし私にもとてもよくしてくれる。

結局のところ、“自信がない”という状態が理解できるかどうか、なのかもしれない。
PhDのクラスでそれを持ち出すのはあまりにも分が悪い。
自信のないヤツはここに来ていないことになっている。

でも現に例外がいるんだもの。
それにこのセンセイな人たちに教わる生徒の中には、きっと自信のないヤツがいると思うし。
克服するべきだと思っていたこともあるし、自信があれば助かることは多いけど、“自信のないままどこまで行けるか”という実験も、試す価値はあるような気がする。

本人はしんどいけど。

「自信」への3件のフィードバック

  1. なんか、タイムリーな話題だわ。
    中間地点のengagementで満足している方が、自信につながると思うなぁ。そっから先行くと、いろんなものを受け入れるあまり、自分自身の考えを絶対視できなくなって、自信を失いそう。
    ひょっとして、我思うゆえに我ありの境地まで達すれば、自信が持てるのか?!
    あと、ひょっとして、1年で一番めでたい日だったんじゃない!

  2. >acha
    キョーイクで疎外感を感じたらテツガクを覗き見して
    私だけじゃないのね、とちょっと安心します。
    やっぱりPhDのPhはPhilosophyのPh。

  3. <追記
    「自信アリ」の方が「自信ナシ」より良いとされているのは
    何故なんだろう?

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