異文化プロジェクトに協力して、インタビューを受けた。
ここ数年私に付きまとって、未だ対処法が見つかっていない強敵、“ステレオタイプ”。
今日も苦戦した。
日本人サンプル1としては、とんでもない人選ミスだと何度も念を押して、できるだけ“一般的”に近い答えを探した。
たとえば授業後に先生に質問しに行く謎とか、アメリカ人に”So what?”と思われそうな言葉選びの理由とか。
職場では出る杭にならないように調和を保つとか。
本音と建前の良いところと悪いところとか。
まめに洗車するとかお天気が挨拶がわりだとか。
通勤電車とか単身赴任とか子どもに対する考え方とか。
メインテーマは“良い先生&生徒像”。
“PhD=優等生出身”の固定観念はやはり根強い。
中学時代、駐車場でいつも語り合ったYや、学校をサボってライブ三昧だった頃の仲間Aちゃん、白紙のテストを堂々と提出した時の目撃者Sちゃん、大学時代コピーと代返でお世話になったEなどを証人喚問に招致したい。
良い生徒向けの教育に合わないからといって、勉強の機会を奪う必要はない。
頭がいいとか悪いとかを言い訳にして進路を限定するのはラクだけど、それだけではどうにも切ない。
分岐点ではもっともっとエネルギーを費やすべき。
そのエネルギーは後で苦しくなった時に、自分を助けに戻って来てくれる。
こんなエラそうなことを言うようになった元落ちこぼれ。
明日には落ちこぼれて退学かもしれない。
決めつけるのはまだ早い。
先生から見た”良い”生徒と、生徒から見た”良い”先生とが、ゴッチャになっている様に思います。
立場によって”良い”の定義が違うと考えれば、スッキリする様な気がします。
良く分かってないのに、生意気な事書いてしまって済みません。m(_ _)m
拝読して、どうもスッキリしなかったもんで・・・。(^_^;)
>れの
ふぅむ。先生が登場しているように見えるということでしょうか。
読み方がいろいろあっておもしろいです。
私は基本的に“良い”を信用していないので、
それが混乱の元ではないかとお察しします。
ちなみにスッキリする必要もありませんよ☆