同じようなことを以前も書いた(参照)けど、また思ったのでまた書く。
「自信を持て」と言う人がいて、「自信を持たなきゃ」と思う人がいる。
でもさ。
たまたま自信がある人はそれを大いに利用すればいいけど、ない人はわざわざ持たなくても、と思う。
自信をつけるのに使うエネルギーがあるなら、スタートを切るのに充てた方がいい。
“根拠のない自信”が許されるなら、逆があってもいいんじゃないかな。
たとえば私は根拠は好んで持つけど、自信はない。
説得力がなかろうがなんだろうが、ないったらない。
自信がないから、舞台袖では不安と緊張におののき、幕が開けば失敗して当たり前。
いつでも逃げ出せる道を残しているし、周りの助けが不可欠。
自信はなくても、進む権利も止まる自由もある。
自信よりずっと便利なアイテムだ。
しかし熱烈な“自信”のファンが多い。
この根強い人気はどこから来てるんだろう。
私は自信を持つ=自分を知るー>そして受け入れる。
ことだと、思います。
だから、本来は持つ(外からとってくる)事では無いのではないかなと。
その理論だと、Emiさんは自信を持っているってことなのでは?
>Kiki
うーむ。私は基本的にハードルが低いので
自分を受け入れるのには抵抗ないけど
それを自信というかどうかはわからないなぁ。
理由や内容はともかく
「自信あります」というセリフを聞きたい(言わせたい)人が
多いのも不思議。
<追記
1.「自信アリ」の方が楽だということを知っている人が多い。
2.「自信ナシ」でやっていける人は少ないから危なくて勧められない。
3.「自信ナシ」は見ている方が辛いから、ぜひとも避けたい。
そういうことのような気がしてきた。