何度めかの大きな言葉の壁にぶちあたり中。
たとえば初めてアメリカに住んだ時、3ヶ月めのある日突然英語ができなくなった。
何が起きたかわからなかった。
一時的なブラックアウトで、数日後、回復した。
去年の冬、初めての留学が始まった時、教授やクラスメート、同居人の言葉が聞き取れなかった。
絶望感でいっぱいだった。
体調不良や内容の理解不足など、原因が判明したら解消した。
今回の壁がこれまでと違うのは、もともとある私の英語力が止まったり減ったりしているわけではなく、足りていない、という点。
もちろん疲れていたり気持ちが沈んでいる時は話す力が落ちる。
でも読むのも書くのも以前より早くなったし、雑音や速度や訛りに負けずよく聞き取れるようになったなぁと、我ながら感心することさえある。
日常生活や仕事上はいい。
授業中の言葉が難しいのだ。
クラスメートは早口が多い。
そして弁が立つ。
それでも休憩や教室外で話すのには問題ない。
授業で発言する時、教授もクラスメートもじっくり言葉を選ぶ。
言葉を探し、言い淀む。
すると誰かが助け舟を出す。
しっくりいかないようなら、他の人がまた別の言葉を提案する。
誰かの造語がベストなこともある。
「そう、それ!」が見つかるまで諦めない。
書いたものは音読して何度も手直しする。
自分の考えがいちばん効果的に表れるように、ニュアンスを吟味して練りこんで作り上げる。
読みもそうだ。
二度三度、熟読していろんな角度で可能性を探り、それぞれが自分なりの解釈を持ってくる。
博士課程特有のプライドもあるのかもしれない。
自分の言葉がもたらす影響と責任感から、慎重に発言せざるを得ないのかもしれない。
私にはそこまでの語彙力がない。
間違いではなくても最適かどうか判断できない。
「ああでもない、こうでもない」とやっている様子はわかる。
わかるけど何の助けにもなれない。
お客さん状態は不本意ではあるけどどうしようもない。
協力を求められても困ってしまう。
伝わるかなぁ?
それはemiちゃんにクラスメートが、そう、これ!という言葉を求めてるってこと?困ってる時に。
言葉の壁、リアルだね。
これ、という言葉は母語ですら見つからないことが多いと思う。
いつも歯がゆい。
言葉って二の次のようで、やっぱり大事だと思っちゃう。
あーこうしてる間に私も少しは勉強しよう、って思えました。
ありがとー。
壁にぶち当たったら・・・
乗り越える、後戻りする、抜け道を探す、時を待つ、などなどあるけど、
鑑賞する、ってのはどう?
言葉を吟味する過程、面白そう。第三者的に、見てみたい。
そういうときに意見を求められたら・・・大勢に従う、ってのが日本人的な模範解答。
>sayuri
特に私に、というわけじゃないんだけどその場に居合わせていれば
こんな私でさえも助けを求められちゃう、ってことだよ。
明らかに力がなくても平等に扱おうとするのは彼ら流の礼儀なんだろうけど
どうも非協力的と思われがちなのが困りものです。
気前のいい貧乏人と同じで、助けたくてもない袖は振れないだけなのにねぇ。
>acha
“時を待つ”や“鑑賞する”だったらかっこいいけど
基本的に腰抜けなので壁があったらペタンと座り込んじゃうだけ。
今も「あーぶち当たってるなぁ」と思ってるけど何もせず。放置プレイです。