哲学

爆問学問”を見た。

このブログを読んだ方に、「哲学的」と言われることがある。
が、テツガクってのを知らないので、褒められているのかけなされているのかも、どういう意味でそう言われたのかもわからないまま放置してあった。

今日の番組のテーマは“哲学ということ”。
分析哲学という、およそ縁のなさそうな、気の遠くなるほど難しそうな分野の学者が、テツガクを噛み砕き、素人にもさわれるようにしてくれていた。

“言葉の意味を考え抜くこと”
“あたりまえと思われていることを疑ってかかること”
“わかることは、わからないこと”。
なるほど。
そういう作業なら癖みたいになっている。
ということはテツガクしてることになるのかな。
一般的には変わり者とか偏屈とか、ひねくれ者とかでしょうね。

学問の入口では、「こーんなわかりきったことばっかり、みんなでよってたかって何を真剣に考えているんだ?」と思いがちだ。
でも、名の知れた天才が生涯をかけたりするんだから、どうやら“わかりきったこと”ではなさそうだ。
じゃあ何なんだ。
で、ミイラ取りがミイラになっちゃう。

“心とは何かと聞かれたら?”
私は「本当の持ち物」と答えようかなぁ。
カラダを含むモノはすべて期間限定の借りものだけど、心は最後までその人から離れないと思うから。
内側で栽培される点で知識とも違うので、「自家製」をつけようかなぁ。

つい先日Kさんと、“冷たい人”について話したことを思い出した。
英語では”cold-hearted”とか”cold-blooded”とか”poor circulation”とか、いちいち明確にしてくれるけど、日本語の“冷たい人”はどこが冷たいんだろう。
どうして「心が、じゃん?」って思うんだろう。

生まれたての赤ちゃんに心はあるかなぁ。
経験が材料になりそうだから、言葉が理解できるようになってから育つのかなぁ。
待てよ、理解するってどういうことだ?

考えれば考えるほどわからなくなる。
それが結構おもしろい。

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