思し召し

“なるべくしてなる”ということについて。

意外なことも予想に反することも、すべてがプログラム済みの必然だとすると、求められるのは“流れ”を読んでそれに正しく乗ること。
タイミングや勇気。
逆らったり止めたりすれば、流れが淀むか自分が溺れるか。

流れを“呼ぶ”とか言ったりもするけど、それは力任せに表面を変化させるなんてことでは、たぶん、ない。
流れはもっと大きくて深いところにある。
どうこうしようと思うこと自体がおこがましいような何かがじわじわ動き始める時、私たちにできるのはせいぜいそれに“感づく”という程度のこと。

失敗とか成功とか出会いとか別れとか、神懸かり的な現象を自分で起こせるなどと思い上がると、激流に足元をすくわれる。

さらさらさらさら。
あくまでも美しく軽やかに。

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