結局みんなが仲良くなりたいのは、オトナな人なんじゃないか、について。
念のため明確にしておくと実年齢は関係ない。
“大人らしい”や“大人気ない”のオトナおよび、“子どもっぽい”や“子どもじみた”のコドモのこと。
“精神年齢”は趣味や嗜好を示す可能性があるので、ここでは別モノとみなす。
基になっているのは“考え方”だが、最終判定は主に“行動”で決まる。
国籍および文化の違いもどうやらなさそう。
たとえばワカイ人が、別のワカイ人と喧喧やっていて、オトナたちは閉口してしまうことがある。
「君たちコドモだね」と言って火に油を注ぐ人もいる。
こちらもワカイ。
生まれ変わりを信じる人たちは、これを魂の年齢と呼ぶらしい。
つまり今生の年齢がどんなに若くても、魂が長い経験を積んで今日に至っていれば、立派なオトナというわけだ。
オトナには自然と人が集まってくる。
「若いのにオトナ」は褒め言葉で、逆は悪口に当たる。
ちなみに「ワカイんだからしょうがない」と思えば、許せることが結構あって便利に使えたりもする。
とはいえワカイこと自体はやっぱりまずい。
コドモは些細なことをいちいちストレスに変え、そのうえうまく発散できない傾向がある。
感情が先に立ってしまうので、余計なエネルギーを消耗して疲れやすい。
運良くオトナに囲まれていれば「許される」が、「愛される」まで行けるかどうか。
見た目が年を取るにつれワカサが理解されにくくなり、残念ながら「嫌われる」ことすらある。
考えてみるとこれはとても気の毒なことだ。
仮に“魂年齢”のせいだとすると、新品の魂とともに生まれ落ちた人は、人種や性別以上に、本人には責任のない宿命的な部分で、差別を受けることになる。
その意味で生まれつき優遇されているオトナは、多少しんどくてもコドモを受け入れる立場にある。
「コドモだね」と突き放したらワカサが出てしまう。
コドモから学ぶこともある。
自分のために自分をオトナにしていくのが、オトナの粋というものだ。
オトナの階段は長くて険しい。