ガイジン語

ガイジンと言葉について。

好んでガイジンになる人もいるようだが、私はしょうがないからやっている。
別に苦しくはないが楽しくもない。
得なことはほとんどないと思う。
ま、その辺は人それぞれでいいんだけど。

ガイジンは外国語を日常的に遣わなければならない。
外国語である以上、不完全な部分があると仮定する。
程度の差こそあれ、間違いや誤解やうまく伝わらないことが混入しており、それを自覚しているとする。

で、だよ。
普通はそれを克服しようと地道に勉強をしたり、コミュニケーション力を磨いたりするのだけど、その対極に“ガイジンの立場を利用する”というのがあって、運悪く見つけてしまうととても悲しくなる。

良性のものは“甘え”、
悪性だと“ずる賢い”と分類されるかもしれない。

言葉で伝達する内容が不完全なのをいいことに、意見をコロコロ変えたり、約束を簡単に反故にしたり。
相手の言うことを話半分に聞いたり。
異文化コミュニケーションの毒の部分だと思う。

気をつけたいのは、このことが、“ガイジン側”だけではなく“ガイジン受け入れ側”にも起こり得るということ。
意図的な文化摩擦というか、人工的な言葉の壁を築いて、問題の原因をそこに擦りつける。

そしていよいよ毒が回ると“利用”グセがついて、ガイジンの言語能力が十分あっても、ひどい場合は母語を共有する相手にでも、ごまかしてその場を取り繕おうとする。
ウソをつきやすい体質になる。
こうなるともう人として信用されない。

ガイジンに手を出すって危ないんだよ。

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