遠距離恋愛で重要なのは、実は“会った時”、じゃないかな。
同性でも家族でも、旅行中にケンカや不満が起きやすいのは、時給が高いせいだというのを聞いたことがある。
高い旅行代金や貴重な休みという要素と、限られた時間内にこなしたいそれぞれの要望。
さらに体力的・精神的な疲れが重なる。
遠距離恋愛の人がたまに会うのにも、同じことが言える。
期待が高すぎると疲れてしまう。
スタート当初は離れるのがさみしい。
そばにいなくてさみしい。
ぽっかり穴が開いた状態。
やがてそれが“普通”になる。
そもそも遠距離恋愛で、ふたりともヒマでしょうがないってことはあり得ない。
やんごとない事情があるから近くにいられないわけで。
さみしいんだけど忙しさで穴はとりあえず塞がる。
新しい生活で新しい出会いもそれなりにある。
そうして平らになった気持ちで、機械を通じて連絡を取り合う。
会えない間、意外と大丈夫なのは「お互い会いたいんだ」という連帯感があるから。
久しぶりに会う日が決まる。
最高にうれしい。
ところが会ってしまった瞬間から、ふたりをつないでいた“「会いたい」と思うこと”ができなくなる。
「なんか違う」と困ってしまう。
気持ちが変化したのかと疑ったりする。
お互いの“普通”な生活を見たり聞いたりする。
知らない部分を受け入れなければならない。
平らだった日常の上に何かがこんもりのっかる。
せっかく久しぶりに会えたのに、次いつ会えるかわからないのに、負担だなんて言っちゃいけない。
“時給”が高くなる。
そしてまた離れる日が来る。
やっぱりさみしいんだけど、最初に離れた日とはどうも違う。
また平らに戻る。