このごろ“お料理好き”なサイトや日記におじゃまする機会が多い。
私は食べるのも食べてもらうのも大好きだが、所属党派は断然そうじ派。
暇さえあれば、ならいいのだが、むしろ暇のない、切迫した時に掃除に走ることが多い。
音楽を聴きながら、考え事をしながら、黙々と掃除をする。
つまり部屋がホコリだらけだったら、私の生活が安定しているサインかもしれない。
ピカピカは危ない。
母は私がおなかにいる時、せっせとトイレ掃除をしていたそうだ。
これも胎教というのかな。
他人と、それも多文化で暮らすと、たいていひとりぐらいは汚し屋さんがいる。
私はキレイ好きではないので気にならないし、汚れたら掃除の出番なので丁度いい。
そもそも「キレイ(cleanの意)」と感じる基準は、文化によっても個人によっても随分違う。
キレイだと落ち着かないという人もいる。
「おいしい」よりも加減が難しい。
“そうじ力”なる言葉が一部に流行ったようだ。
ミラクルパワーについては知らないが、掃除の楽しみはアピールしないところにあるのになと思う。
「また何か作るから遊びに来て」は自然な会話だけど、「また掃除するから遊びに来て」は文脈を選ぶ。
「今度一緒に掃除しない?」とかもあんまり聞かない。
だいたい誰もいない方が掃除は捗る。
汚いのは多くの人の目に留まるが、キレイは気づかれにくい。
ブログかなんかに、掃除後の“本日の部屋”という画像をアップし、毎日更新しても盛り上がりに欠ける。
おすそわけもできないし手土産にもならない。
完全に自己満足の世界。
華やかな料理界に比べるととっても“陰”だなぁ。
というようなことを、掃除をしながら考えた。
同感です。
>sayuri
ありがとうございます。