“大げさ傾向”について思うところ。
たとえばケーキを選ぶ程度でも、「うわ~悩む~」と言う。
“迷って”いるだけなのに。
涙が出ることを“号泣”と言ったり。
ちょっとウケると“爆笑”と言ったり。
“超”というのはもはや古典のようなものだ。
“激…”や“バカ…”という強調表現もある。
なんだろう。
刺激が足りないのだろうか?
何故か“マイ七味”を持ち歩く人を連想させる。
一方で“フツーに”というのは肯定的に遣われている。
普通とはなんぞや。
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“大げさ傾向”について思うところ。
たとえばケーキを選ぶ程度でも、「うわ~悩む~」と言う。
“迷って”いるだけなのに。
涙が出ることを“号泣”と言ったり。
ちょっとウケると“爆笑”と言ったり。
“超”というのはもはや古典のようなものだ。
“激…”や“バカ…”という強調表現もある。
なんだろう。
刺激が足りないのだろうか?
何故か“マイ七味”を持ち歩く人を連想させる。
一方で“フツーに”というのは肯定的に遣われている。
普通とはなんぞや。
以前バイトしていた写真館で、『私は感動が少ないから、人間らしくするためにオーバーアクションをしている』と言っていた人がいました。
人それぞれなので肯定も否定もしなかったけど。
10年以上前に言われた言葉ですが、未だに良く理解ができず忘れられません。
この記事を読んでいて、その人を思い出しました…
>あやもん。
不思議なポリシーだねぇ。
でも『感動=人間らしさ』という着眼点は正しいような気がする。