「留学すれば英語ができるようになる」という神話は日本以外にも存在していた。
測定する術があるわけではないが、留学生たちは口を揃えて「英語がうまくなった気はしない」と言う。
最近になって知ったのだが、うちのプログラムには「会話力アップが第一希望」と公言している留学生が結構いる。
ほとんどが母国で教員だから仕方ないのかもしれないと、無理に納得するようにしている。
彼らにとっては気の毒な話だ。
読んだり書いたりができるようになっても、満足感につながらない。
それどころか「もう××年もいるのに…」と、焦りや自己嫌悪を生んでしまう。
当初の期待値や目標、および自己分析とその評価に個人差があるので一概には言えないが、まぁそう伸びるもんじゃないだろうという予想はつく。
プールに落とされて泳ぎを覚えるのは乳幼児の話。
大人は溺れる。
泳ぎを覚えたからと言ってもれなく、かつ自動的に水泳選手になるわけではない。
水泳選手になっても、どの種目でどんな力が問われるのかわからない。
スピードを競うならコンマ1秒を縮めるのはどんどん難しくなる。
演技力や表現力が試される競技もある。
そんなわけで何を持って“英語力”というかがそもそも問題なのだけど、いずれにしても私自身は、私の英語力にあんまり期待していない。
そりゃ、生活必需品なので、暮らしのついでに上達すればオイシイとは思うが、世の中そんなに甘くないらしいので、おまけがなくても文句は言えない。
negative evidenceは蓄積できるけどね。
…というようなことを話すと、「あきらめちゃダメ!」と、気の早い人に発破をかけられたりもするが、これは決して悲観的な発言ではないのだ。
今いる場所は、自らの語学力を追求するところじゃないんじゃないの?というだけのこと。
じゃあ英語力を伸ばしたい人は?
答えはきっとプールサイドの外側にある。