コミュニケーションのクラスは毎回、論文を2つ読んで、それぞれについてレポートを書き、教授宛にメールすることになっている。
教授はその中から、授業にふさわしいレポートを数点選んで、教室でディスカッションをする。
読むのも遅いので早く取りかかりたくて、テキストを発売日の土曜日に買いに行き、リビングのソファで必死に読んだ。
ひとつめは「言語生活の民族誌学(Ethnography of Speaking)」というもので、コミュニケーション論の知識もないので、とても読みにくい。
読んでは戻り、の繰り返し。
後でコミュニケーション専攻の学生に聞いたら、「あの論文は難しかった」のだそうだ。
そんなことは知らないので、最初からこんなんでどうなっちゃうんだろうと、また凹んでいた。
とりあえず格闘しながら読み進んでひとつめ終了。
わからなすぎてレポートのテーマも見つからないので、書くのは保留にしてふたつめを読むことにした。
コミュニケーション論全般を俯瞰したひとつめとは異なり、ふたつめはある特定の研究の記録だったので、内容はおもしろいし読みやすかった。
ちょっとほっとした。
書けそうなことも浮かんだので、レポートをまとめた。
もう一度ひとつめに戻り、苦しみながら再読、再々読。
やっぱりよくわからない。
ただレポートの条件には、「全体にまたがる漠然とした感想ではなく、特定の内容に関して、教室で議論のテーマになり得る意見の表明・疑問の提示」とある。
ということは全部理解できなくてもいっか。
わかったところに絞って書こう。
ていうかそれしかないし。
開き直ってパソコンに向かった。
そして今日のクラスは、選ばれた数点のレポートを元にディスカッション。
教室はひとつの大きな机がまんなかにあって、S教授を含む約20人がそれを囲んで座る。
最初に教授が提出課題の総評を述べた。
「…はemiのレポートでした」
わ、聞き逃した。
おそらく顔がびっくりしていたので、S教授に「名前の発音は合ってた?」と聞かれた。
なんだかわからないけど、名前が挙がったということは、今日のテーマに当たってしまったのかもしれない。
それはそれで大変だ。
ディスカッションは進むが、私は指名されない。
だったら最初に呼ばれたのは何だったんだ?
円卓風の教室は参加しやすい。
クラスの雰囲気もよいので、私の下手な発言もちゃんと聞いてくれる。
授業が終わった。
結局私は指名されなかった。
ということはあれは何か注意を受けたのかも。
ひょっとして添付ができてなかった?
あまりにも的外れだったとか?
S教授に、「申し訳ありませんが授業の最初に、私の書いたものについて何とおっしゃったか、もう一度聞かせていただけませんか?」と言ってみた。
「何か間違っていたのでしょうか?」
「授業の最初に…?
ああ、“洗練された(sophisticated)見解”というやつ?」
また顔がびっくりしていたと思う。
「褒めた(admired)んだよ。他の学生のはもうひとつ甘い(naive)ものだった。ディスカッションに上がったのはどれも突っ込みどころが多いと感じなかった?」
そうだったのか。
よかった~。うれしい。
「初めての課題で褒めていただけるとは夢にも思わなかったので、てっきり注意されたんだと思って気にしていました」と言ったら、S教授は「ほーっほっほー」とサンタクロースみたいに笑って、「それは悪いことをしたね」とおっしゃった。
やっぱ、内容で勝負でしょう~。自信をもっていいね!
>acha
んん~…。ま、でもちょっとずつ授業にも参加できるようになってきたよ。
助けてくれる人もたくさんいるし。あいかわらず人運だけは抜群にいいみたい。ありがたいです。