ケータイ

10年ひと昔。
ケータイ歴を振り返ったら、時の流れを感じた。

私のケータイデビューは東京D社。
清志郎さんが「♪レッツ東京D~」と叫んでいた。

通話専用で当然と思っていた時代。
画期的としか言いようがない文明の利器だった。

その後なんかの懸賞で当たって、「♪東海D・ホン・ホン」に移籍。
まもなく文字メールができるようになり、所属はJ社に。

液晶は2行分の黄緑のパネル。
着メロは自分で音階を組み立てるもの。
ジャミロクヮイの”Virtual Insanity”を作ったが、誰にもわかってもらえなかった。

この辺りが依存症に近いお年頃で、ひと月に何万も支払っていた。

それからボディが折りたたみになり、画面が大きくなり、色がつき音もよくなり、わけあってa社に転換。

最近は“あれば便利”レベルになってしまった。
人と会っている間はケータイに触らないことにしているし、不携帯なことさえある。

10年ひと昔、なのである。

「ケータイ」への1件のフィードバック

  1. >追記
    結局a社残留となりました。ご意見いただいた皆様ありがとうございました。

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