俯瞰癖

なんでもすぐ俯瞰しちゃう癖について。

うっすら気になっていて、大事なことのような気がするのでよく考えたいのだけど、なんとなく機を逸していて、そのくせちょいちょいそれっぽいエピソードに出くわすから、ひっかかったままになっていること。
名付けて、俯瞰癖。
…と思って、試しに「俯瞰癖」で検索してみたら、いっぱいヒットした(参照)。
なんだ、こんなに出回ってるのか。
ぜんぜん「名付けて」じゃなかった。

ただ、ざっと見たところ、どうやらこれは上から目線とかプライドとか自意識とか、たぶん悲観とか、そういう話のことっぽい。
類義語らしき「俯瞰中毒」で検索しても、内容はほとんど同じ。

うーん。
私が気になっているのは、それとは違うんだよなぁ。
いずれにしても「俯瞰癖」という名前のものがすでにあって、それが「所詮・結局思考」に集約されているのなら、あれには別の名前が付いているか、または新しい名前を考えないといけないんだな。

名前探しの手がかりを並べてみると、たとえば「多様と画一」というような文脈で、「多様」を語っているつもりの人が、その語り口のせいで、結局「画一」に加担することになっちゃってる、みたいなこと。
そういう場面では「俯瞰」がキーワード的に組み込まれていて、「お気づきでないかもしれませんが、俯瞰で見るとこうなんですよ」「俯瞰が欠けているから、ステレオタイプに陥るんですよ」というメッセージが投入されがち。
投入する際の態度としては、“上から”や“ドヤ顔”の場合もあるが、そうばかりでもなく、穏やかに親切に、提言や諫言として表される場合もある。
その、視野を切り替えたがる癖みたいなのが気になっている。

ふむ。
定義としては、「一周まわって深いところへ入っていこうとするときに、半周戻しにかかる動き、またはその習慣。」ぐらいかしら。
本人は「半周進んでる」と思っているんだろうけどさ。
で、たとえば先を行く相手がいったん戻って立ち位置を合わせた上で、「さてもう半周」と前進させようとすると抵抗を示す。

抵抗の理由は、それこそ“俯瞰”なGPS的に見ると、「元の位置に戻る」だからだろう。
横から見ればステージが変化しているんだから、後退とも原点回帰とも違うのに。
その“横から目線”がないために「元の位置に戻る」意味が見えていないか、あるいは自分が出発点に置き去りにしてきたはずの多数派と一緒くたにされることを恐れて、“半周”外れた位置に立ち続けることにこだわる。
この点に関しては、たぶん「伝統と革新」みたいなところによくある話。

「癖」として共通する性質は、まさにその「よくある」感。
本人的にはどうも希少とか個性的とか、あるいは突飛とか、なにかしらの新規性を感じているっぽいんだけど、私はその動きに敏感なのか、やたらよく出くわすので、新規どころか手垢つきまくりに見えるのよね。
その切り替え方も、すぐ“俯瞰”に持っていってそこから論を進めないところも、「あぁ、またこのパターンかぁ」と思っちゃう。
マクロ的視点と出会ったときに衝撃を受けて、自分の視野が一気に広がった快感が忘れられず、以来ずっと目がハートなのかもなぁ。
恋だと思えば、しょうがない。

がっつり議論する場でもなければ、動かないものとあきらめて、折れるなりぼかすなりして、とっとと切り上げる。
“ドヤ”系の人は「論破した!」みたいな悦に入るのだろうし、親切系の人は「もっと勉強したらいいのに…」となるのかもしれないけど、これ、どっちも誤解。
でもその誤解は放置されて、繰り返されて、癖になっているんだと思う。

「俯瞰癖」という呼び名が使えないなら、「半周戻し癖」でもいいんだけど。
まあ伝わらないでしょうな。

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