学習の記憶

「学習歴を振り返る」について、思うこと。

「これまでにどんな学習をしてきたか」と尋ねたとき、鮮明に詳細まで覚えている人と、ほとんど~まったく覚えていない人がいる。

前者は、感動や驚き、歓喜、失望、ショックなどの強い感情や、「自らあえて選択した」など決断をともなう経験を挙げることが多い。
また、実際の経験を覚えていなくても、家族など身近な人から「あの時あなたはこうしていたよ」と聞かされることによって、後づけで記憶されていることもある。
英語学習でいえば、「ある日突然、“ガイジン”が現れて、英語をペラペラ話しているのを見て、カッコいい/怖いと思った」とか、「留学して辛かったけど、必死でがんばって乗り越えた」みたいなのは、学習歴を振り返ろうと思って脳内を検索したときにヒットしやすい。

後者は、「ごく自然な流れで、なんとなく過ぎてきて、気がつけば学習していた」という人に多い。
自分で選択したわけじゃなく、与えられた環境で、特に大げさな感情の動きもなく淡々と過ごし、その経験について聞いたり語ったりする機会もなければ、「あんまり覚えてない」となるのは無理もない。
英語学習でいえば、「幼いころから普通に英語を使っていて、ずっと英語を使える人たちに囲まれて、成功したとも失敗したとも思ったことがない」というようなケース。
母語の学習でほとんどの人が学習歴を語れないことを考えると、母語に近い感覚で第二言語を学習した人が学習歴を語れなくても不思議じゃない。

言うまでもなく、どちらの場合であっても、その人が学習をしてきたことに変わりはない。
つまり、「これまでにどんな学習をしてきたかを覚えているかどうか」と、「学習したかどうか」とは関係がないし、「覚えているかどうか」が学習の量や質を決定することもない。
どっちでもいい。
「覚えている」にも「覚えていない」にも、同じの深さの理由、背景、経過がある。
だから私は「覚えている」と「覚えていない」を同じように尊重していて、どちらが出てきても同じようにとても興味深いのだが、どうやらそれは理解されにくいようだ。

一般的には、「覚えている」の方が「覚えていない」より優れていて、「鮮明」の方が「ぼんやり」より有益で、「詳細」の方が「なんとなく」より価値が高いと思われているらしい。
ひょっとしたら別の分野ではそうなのかもしれないが、こと個人の学習歴を振り返るにあたっては、これは当てはまらないと思う。
むしろ、この「くっきりはっきり覚えている方がいいに決まってる」というマインドセットは、本人および周辺の人たちの学習を妨げることがあるとさえ思う。

たとえば鮮明に詳細に覚えている(と思っている)人が、自分の学習歴を繰り返し語ることでさらに記憶を強化し、いわば自己流に脚色したストーリーを絶対視してしまうと、その方法以外の学び方を受け入れにくくなることがある。
事情が変わり、内容が変わり、自分も変わってきているのに、成功体験にしがみついて学習方法を固定し、新たな視点や方法を拒絶すると、いわゆる“頭がカタイ”人ができあがる。

また、“覚えている”型の人が、自身の学習経験に極端な誇りや恨みを持っていると、我が子に完コピあるいは真逆を強いたり、他者に持論を売りつけたり、他者の学習を非難したりすることがある。
自分と他者はそもそも違い、環境も違い、時代さえ違うこともあるのに、さらにその記憶は実は不確かで反例も多いかもしれないのに、「私の言うようにしなさい」とか言われても、まあ何というか、困ってしまう。

一方、“覚えていない”型の人が「覚えている方がいいに決まってるマインドセット」を持つと、実際には体験していないことを語って記憶を作ってしまう場合がある。
いかにも大勢が共感しそうな、どこかで聞いたような薄っぺらい話や、取ってつけたような感想を“記憶”としてしまう。
ま、それはサービス精神みたいなものでもあるだろうから別にいいけど、たいていは本人が見積もったほどおもしろくはならない。
せっかく作ってもらったのに申し訳ないけど、少なくとも私が聞く場合には、「覚えてない」の方がよっぽどありがたい。
学習経験を覚えていないということは、それ以上に記憶に値する経験がすぐ近くにあったということなので、「じゃあそれは何か」という方向で探っていくと、本人の学習にとって有益な情報にたどり着けることが多い。
“覚えていない”型の人の話は、“覚えている”人の話ほどの見栄えはないかもしれないけど、少しアゴの力を使えば隠れた旨味を楽しめるのだ。

人間の脳は、コンピュータの記憶装置とは別のやり方で記憶をする。
だから、何を覚えていて、何を覚えていないかがとても大事になってくる。
人間の口は、音声プレイヤーとは別のやり方で脳内の情報を再生する。
そこを人間の耳が捕まえるから、おもしろいことがいろいろ起きる。
そのうえ、二つと同じ脳はないのだから、語る人と聞く人の組み合わせやその間に発生することは無限。

ついでにいうと、“覚えていない”型の人の実態は往々にして、「思い出すのにひと手間かかる型」である。
たとえばコーチングで数ヶ月にわたって一緒に学習経験を積んでいく中で、「こういう経験、どこか別の場面でしたことありませんか?」と尋ねると「あ、確かに!」となったりする。
覚えてはいるんだよね。

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