世界地図

世界地図を眺めて、しみじみ思う。

言語コーチング学会に参加した人たちの間で、つながりを保ちたい希望が多く寄せられていたので、グーグルマップ上で集まる企画を立ち上げた。
ちょこちょこっと記入してもらい、フォームを送信すると、自分の居場所が自動で地図に反映される仕組み。

フォームはできるだけシンプルにして、例や説明もふんだんに載せて、基本的には「誰でも簡単に」できるようにしてあるのだが、ま、なかなかそうはいかないもので。
私は言い出しっぺで製作者で管理者なので、ヘルプ要請をもらい次第、出動する。
どれも一瞬で解決する単純作業なのだが、それでもここではTech savvy呼ばわりで、やたらありがたがられている。
ざっくりした感想だけど、ヨーロッパの人たちのITスキルは、アメリカと日本の間ぐらいなのかしらね。

ほんの4-5日で、全体の6割ぐらいの人たちが回答してくれた。
ピンが次々に立って、地図上がだんだん賑やかになってくる。
こりゃまた、わたし史上例を見ない分布になりそうな気配。
詳しくは全部出そろってからにしよう。

地図を眺めながら、私はいつの間にか、世界のいろんなところの人たちと知り合ってきていたんだなぁと気づく。

生まれてから最初の約20年間、私は外国との接点がほとんどなかった。
小中学校は帰国子女が転入してくることが多かったし、近所でいちばん仲が良かった友達はパリから来た子だったけど、私はパリというのがどこなのか、国の名前なのかなんなのか、なんにも知らなかった。
そこんちのお母さんは聞き取れない鼻歌を歌っていたし、出てくるごはんはいつも不思議な献立だったけど、それがパリのせいだとも思っていなかった。

社会科は苦手で、地図はちっとも読めなかった。
部屋の壁に日本地図と世界地図を貼ってみたけど、地名はぜんぜん覚えられなかった。
いま思うと、3D非対応の私の脳には、地理という概念が入っていかなかったのだろう。
地図はもちろん、地球儀も、どこをどう見ると何がわかるのか、さっぱりわからなかった。

外国にまったく興味がなかったので、外国の映画や音楽に触れるということもなかった。
外国との唯一の接点は英語の教科書だったかもしれないが、それにしたって、別になんの思い入れもなかった。
私の教科書は、行間に教科書ガイドから丸写しした訳を美しく詰め込み、右隅にパラパラ漫画を描くためのものだった。
外国語に強い興味や憧れをもつ人は身近にたくさんいたけど、私は共感できなかった。

そんな私の“世界観”が変わったのは、大学生になってからのこと。
友人になんとなく付き添って参加したヨーロッパ研修旅行で、実際に日本の外に出てみて初めて、「おぉ、外国ってこういうことか」というのがわかったのだと思う。
その後は、外国を旅行してみたり、バイトや仕事で外国や外国人と関わったり、アメリカに住んだりして、現在に至る。

特筆すべきは、ケンタッキー時代の出会いがとんでもなく国際色豊かだったこと。
当時はそうとは知らず、「これがアメリカかぁ」なんて勘違いしてたけどね。
日本語教師としてたまたま赴任した大学は、家庭の所得上限を定めて入学者を選抜し全員に奨学金を与えるという全米でも珍しい学校だったので、留学生の出身地は、情勢の不安定な国・地域を含め、本当にさまざまだった。
セネガル、ナイジェリア、ケニア、スロバキア、ボスニア、ルーマニア、ポーランド、モルドバ、ロシア、ジョージア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、ネパール、ビルマ、マレーシア、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ…など、グーグルマップをスクロールしながら当時の友人たちを思い出す。
彼らから宗教や政治の話を聞いて学んだこと、行動をともにすることによって感じられる文化の違い、英語やアメリカ文化を吸収していくプロセスの違いが、今日の私の興味や考え方に影響を与えていることに気づく。

ケンタッキーほど色とりどりではないにしろ、その後、日本で英語を教えていた頃の同僚もそれなりにいろんなところの出身者だったし、ニューヨークへ来てから知り合った人々やESLの受講生たちにも、そこそこの多様性がある。
さらにそこへ、この言語コーチという新たな集団が加わったというわけだ。

本人はあいかわらず外国にさほど興味はないんだけどね。
自ら広げていくつもりはなくても、どういうわけか、居ながらにして外国に巻き込まれやすい体質なんだろうな。
なにはともあれ、こうなっちゃったからには、もう無関心というわけにはいかない。

世界のいろんな場所に、私が実際に出会った人たちがいる。
彼らの出身地がある。彼らの家族がいる。
事故や事件や戦争やテロが起きるたび、思い浮かぶ顔がある。

世界は平和であってほしいと、心から思う。

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