続・盛りセンサー

事実よりちょっとだけ大きく、良く、輝かしく見せている行為を、瞬時に見破ってしまう邪魔な機能のこと。

いかにもウケのよさそうなところだけをツギハギして都合よく勘違いを誘う書き方をしている経歴など、見ただけでうんざりする。
実情を知っている人のものならなおさら。
自分を正直に表現できない弱さ、軽薄さ、ギリギリ虚偽にならないためのチープな方略…
そのすべてにがっかり。

…ってなことがあって、あれ、これ前に書いたような気がするなと思ったら、やっぱり書いていた。(参照
5年9ヶ月前かぁ。
でも解除したがっていたのは忘れていた。
そうかぁ。
解除どころか、ますます感度が高くなって、ますますうんざりしているというわけか。
はーあ。

なんでもないごく普通のものに、勿体ぶった名前をつけたり。
誰でも通れるところを、さも難関かのように見せかけたり。
薄っぺらなものに下駄を履かせて自慢に仕立てたり。
見つけるつもりはないし、見たくもないのに、見えてしまう。
そして見てしまえば、ガッカリして、かなしくなって、そうする人を静かに軽蔑することになる。
いまだにそういう反応しかできない自分の成長のなさも含めて、隅から隅まで残念。

“盛りセンサー”のうっとうしいところは、勘違いなどで不正確な情報を流してしまっている「うっかり」と、良く見せようと意図して不誠実な情報の流し方をしている「ちゃっかり」とを、きちんと分けて検知すること。
もちろん「うっかり」も検知はされるのだが、「ちゃっかり」の方は強めのアラートをばしばし発するので、どうしても目に入ってくる。
発信者が本当は大したことじゃないと自覚した上で、それを隠して、センセーショナルになるように工作しているのが見えてしまう。

そんなぐらいなら、火も煙もないところに降ってわいた、根も葉もない完全なデマの方が、まだいくらか健全で愛すべき余地があると思う。
「盛り」はタチが悪いよ。

盛りたい気持ちは、わからないではない。
寂しさや、焦りがあるんだよね。
でも、やめようよ。
意味ない、というかマイナスにしかならないんだからさ。

そりゃ一瞬の注目ぐらいは集められると思うよ。
実際、「すごーい」「おめでとう」「カッコいい」など、無邪気な反応がたくさん届いてるよね。
でも、それはすべて、自分がその人たちにちゃんと見てもらえていないという証明にしかならないでしょう?
だから多ければ多いほど、空虚な感じが募るでしょう?
ちゃんと見ている人は何も言わないし、その人たちに何も言ってもらえない、ひょっとしたら見放されてしまうことは、とても恐ろしいことじゃない?
表面的で刹那的な“チヤホヤ”をいくらかき集めたって何の力にもならないし、その代償はあまりにも大きくない?

なぜ私にはこのイヤな機能がいつまでも搭載されているんだろう。
見逃そうともしてもいるし、あきらめてもいるし、即座には無理でもしばらくしたら赦してもいるのに。
運悪く“盛り”を突き止めてしまっても、気にならないようになりたいのに。
嫌いな人も増やしたくないのに。

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