英語と「楽しさ」

英語を教えるにあたり、「楽しさ」や「好きにさせること」に力を入れる必要って、あるのかなぁ。

『中高の英語指導に関する実態調査2015』(参照)を見た。

日本全国の中学・高校を対象に行われた大規模なアンケート調査。
回答率や抽出方法についても一般に公開されている(参照)。
校長の回答や意見を調査に混ぜたかった理由はわからないが、ひとまず回答者の77%以上が英語教員なので、ざっくり“現場の声”という解釈でいいのかな、という感じ。
正確には「実態」ではなくて「教員が“実態”と考えていることの自己申告」がかなり含まれているので、読む側の読解力が問われる資料だが、興味深かった。

おもしろいと思ったところは、たとえば「将来の英語の必要性」(参照)。
「生徒の将来」を回答者がどう定義しているかは不明だが、おそらくは日本語母語話者、概ね日本国内在住の成人を想定しているんじゃないかな、と予想して資料を見る。
自分の生徒が大人になったとき、つまり早ければ数年後、遅くとも10年以内ぐらいのうちに、「“世の中”は少なくとも日常生活でちょっと英語を使うぐらいのことは求めるようになっているだろう」と考える教員が91.3%(中学)、84.6%(高校)なのだそうだ。
夢があるなぁ。
自分の仕事に対する自負、使命感でもあるのかな。

ただ、じゃあ生徒が英語を使う生活を送る大人になっているかというと、それはなんとなくそうでもないみたい。
おもしろい。
中学から高校にかけて、「英語を使いそうな気配」より「使わなそうな気配」が立ち込めてくるのもおもしろい。
この調査にはないけど、きっと幼児や小学生に英語を教えている人の間では「使いそうな気配」が圧倒的だろうから、生徒が実際に大人になる日が近づくにつれ、見事な右肩下がりということになりそう。
そのまま、もし20歳や25歳、30歳の学習者に関わる“教員”に聞くと、「使わなそうな気配」が優勢になってるんじゃないかしらね。

うーむ、と思ったところは、たとえば「授業で大切にしていること」(参照)。
「楽しさ」が中学で1位(51.9%)、高校で2位(38.1%)。
この「楽しさ」という語は、たとえば「授業を英語で行うことについて、どう感じるか」という質問の選択肢に「生徒が英語を使う楽しさを感じる」というのがあるぐらいだから(参照)、調査する側は現場の先生が「楽しさ」を意識していることを事前に予測できていた可能性が高い。

うーむ。
いや、授業を受けた生徒が「楽しい」と感じるのはいいんだよ。
先生が、たとえば授業の準備をする際に「楽しさ」を心がけるって、どうなんでしょう。
先生の「楽しさ」のセンスと、生徒の「楽しさ」のセンスって、そんなに合致してるんだろうか。
少なくとも私は、親世代の真面目な大人の「楽しさ」に共感できないタイプの生徒だったからなぁ。
先生が授業に「楽しさ」を持ち込んできたなと感じたら、基本は引くか反発するか、優しくなれる日なら「先生、がんばってるな」と思って付き合ってあげるか、ぐらいだっただろうなぁ。
素直で良い子な生徒さんが多いのかもね。

もうひとつ、たとえば、「英語を指導する際に重要だと思うこと」の「生徒が英語を好きになるように指導する」(参照)。
中学教員の80.6%、高校教員の72.4%が「とても重要」と考えていて、中学33.5%、高校24.7%で「十分実行している」んだってさ。

うーむ。
この「好きになる」という表現は、日本の先生方の口からよく出る。
私はそれを聞くたびに引っかかる。
そうおっしゃるご本人は、きっと英語が好きなんだろうし、好きなことを仕事にできてよかったねと思う。
自分の生徒に「英語が好き」と言われたら、うれしいんだろうね、とも思う。
でもなぁ。

私の知る限り、特に成人の学習者の中には「英語は好きじゃないけど、必要に迫られて」という人がかなりいる。
たとえばそういう人に向かって、「じゃあまずは好きになりましょう」って、なる?
「学生時代は英語が嫌いだった」と言いながら、日常的に英語を使っている人もいる。
また、英会話屋さんの“お客様”の中には、英語が好きで、英語を使う予定がない人がたくさんいる。
「だから中学高校で英語を好きにさせとかなきゃ」って、なる?
なんなくない?
好きとか嫌いとか、どうでもよくない?

あくまでも個人的な観察にすぎないが、「英語好き」は中級学習者ぐらいまでに多く、上級になると好きとか嫌いとか言わない気がする。
上級者の中には「昔から英語が好きだった」という人もいるので、「英語好きほど中級止まり」なんて乱暴なことは言わないけど、「好き」だけでやっていけるほど日本語母語話者の英語学習は甘くないし、好きじゃなくても必要なら続くのだと思う。

ちなみに私自身は、英語に限らず、ある特定の言語を「好き」という感覚が理解できない。
色や味の好み、芸術の好み、気候や風土の好みなど、私にもわかる好みはいろいろあるけど、ある言語をひっくるめて「好き」というのがどういう意味なのか、私にはわからないのだ。

私が「英語を好きになる」に違和感を覚えるのは、そこに「英語科」などガラパゴスな何かや、短期的な視野の狭さや、指導者自身の成功体験の押し売りのようなものが感じられるからかもしれないと思う。
その目標の中心には、学習者がいない気がするのだ。
学習者の将来的、現実的なニーズよりも、「自分のやっていることを、自分と同じように好きになってほしい」という気持ちが先行しているような気がするのだ。

ま、いつものように、私がズレてんでしょうな。

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