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失敗して、凹んで、振り返って、慰められて。
ダメな学習者の感情をガッツリたどる。

上級コーチ講座は後半に入り、実践に次ぐ実践の厳しいトレーニングが続く。
そんな中、前回のクラスで私は大失敗をした。

言い訳はいろいろある。
リレー式をやると発表された時点でもう「あ、苦手なヤツだ」と思っちゃったし、詰まってしまった時は「あぁ、みんなの時間を余分に使ってる」と焦っちゃったし、他の人のコーチングを聞いている間は「みんな上手いなぁ。下手なのは私だけだ」と自分を追い詰めていたし、2周めは急遽順番が繰り上げになって頭が真っ白になっちゃったし。
そういえば寝不足だったし。

でも、何はともあれ、私のパフォーマンスはひどかった。
自分の脳の状態もわかるし、自分の番じゃない時は「あぁ、自分だったらこうしよう」とアイディアも湧くのに、いざ自分の番が来たら全然言葉が出てこなかった。
同じことをなぞるばかりで、セッションを方向付け、前進させることができなかった。
まさに業界用語で言うところの「Limbic(脅威を感じて辺縁系が反応している状態)」「Amygdala hijack(扁桃体の活動によって冷静な思考が妨げられること)」。

Rは受講生役としても私を助けるために協力してくれたし、実技の後も良いところを拾ってフィードバックしてくれたし、仲間たちも良いコメントをくれた。
でも私は「みんな優しくてありがたいけど、そういうの、結構です」という状態だった。
Rはそれが役目だから、無理やり良いところをひねり出して褒めようとしてくれているのだろうし、仲間たちは気を遣ってくれているだけで、本当は良かったなんて思っていないだろう。
だって私の出来は最悪だったんだから。
クラスが終わった後も、ひとしきり凹んだ。

消えてなくなりたい気持ち。
なかったことにしたい気持ち。
すべて投げ出して、逃げてしまいたい気持ち。
これらは、あらゆる学習プロセスで“失敗”を経験した時の学習者が味わう気持ちだ。
たとえば英語をしゃべった相手にまったく理解してもらえなかったり、人前で発音を直されたり、教室やパーティーで他の人の会話が自分の頭のはるか上を行き来し、一言も発することができずに終わったりすれば、そりゃ「英語なんて一生しゃべりたくない」「もうやめたい」と思うものだ。
この気持ちに引きずられていけば、学校なら不登校や中退、コーチングなら音信不通や挫折にだって行き着く。

こうした経験を、私はこれまでにたくさんしてきた。
大学院にしろ、学会にしろ、コーチングにしろ、そううまくもない英語で、分不相応な場にうっかり紛れ込み、自分よりうんと優れた人たちの足を引っ張りながら、みんなに助けられてどうにかこうにかやってきている身なので、古傷はいくらでもある。
場数を踏み、経験を重ねてハートが強くなるという話も聞くが、私に限っては慣れるということがないらしく、毎回新鮮な気持ちでどこまでも深く凹める。

上級コーチ講座は後から復習できるよう、すべて録画されている。
自分の“失敗”を復習したいなんて、誰が思うだろう。
でも、現実から目をそむけていては上達は望めない。
脳が感情に支配され、抵抗しているからこそ、意識的に努力して、逆の方向へ動かしてやらなきゃいけない。
自分で克服する以外、方法はない。
コーチとして、普段は受講生にそれを言う立場でありながらも、送られてきた録画のリンクを開く勇気を振り絞るまで数日かかった。

で、重い重い腰を上げ、しぶしぶ自分の“失敗”セッションを聞いてみた。
まもなく、私の声は自分を離れ、私は自分のパフォーマンスを、ある1人のコーチのものとして聞き始めた。
ふむ。
確かに緊張しているし、Limbicで本人のしたいようにできていないのは伝わってくるけど、思ったほど悪くない。
当日は「そういうの、結構です」だったはずのRのフィードバックにも、他のコーチからのコメントにも、賛成できるようになっていた。
ふむ。

で、その次の回である今日のクラスの冒頭で、この体験を話した。
Limbicになって失敗し、凹みに凹み、フィードバックに耳を貸せず、振り返ることも怖かったが、思い切って聞いてみると印象が変わり、フィードバックも受け止められるようになった、という経過と、そこから学んだこと。

仲間たちは共感や理解を示してくれ、興味深く聞いてくれた。
Rは「学習の過程で、自分の期待や自分自身との戦いほど厳しいものはないかも」。
なるほど。
凹むということは、意外と私も自分に対して期待していて、プライドが高いのかもね。

その上でRは、「私に言わせれば、そもそも学習プロセスの中に良いとか悪いとかはないのよ」と。
「それは学校で成績や点数をつけられたり、良し悪しで判断されたりしてきた弊害だと思う。」
「学ぶ過程で、試練を経験し、可能性を試し、実践し、手応えを確かめる。その中に、そのまま使えそうというものもあれば、直した方がいいものもあり、やめた方がいいものもあり。それだけのことでしょう?『2つと同じ脳はなし』で、学び方は皆それぞれ違うんだし、試し方も確かめ方も違う。学習プロセスとは、自分の学び方を経験して、それがどんなものか確かめ、自分で納得して次へ進むという一連の実験的な過程だと思えば、その中で起きることに対して良いとか悪いとか評価することはなくなると思う。」

それから、自身が司法修習生としてさんざんな経験をしたことを通じて、自分の脳の学び方を知ったという話をしてくれた。(参照

本当に私は恵まれている。

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