続・二の足

と、いうわけで。
「二の足を踏む」について学ぶ、の続き。

「興味はあるんだけど、なかなか…」という「二の足」タイプの人たちに協力してもらって、たとえばワークショップに参加する前にどんなことが不安で心配か、聞いてみた。(参照

“取材”に協力してくれた人たちは、一部を除いて横のつながりがまったくないのに、出てくる答えには驚くほど共通点が。
これが世間/多数派/“普通”なのかしらね。
だとすると、我が身の外れっぷりがすさまじい。
とほほ。

共通点は回答そのものにもだけど、回答が集まるまでの動きにも見られた。

もし私が回答者なら、依頼メッセージを開いて、その場で回答して終わり、だろうと思う。
本当の私の回答は「二の足踏まないんでわかりません」だし、仮に私が「二の足」タイプだったなら、日々やっていることなのでスラスラ答えるだろう。
いずれにしても回答に悩むような案件じゃない。

ふっふっふ。
そうはいかないのが真の「二の足」なんだねぇ。
もちろんすぐに回答をくれる人もいた。
回答をもらった時点では何とも思わなかったが、後に、それは「二の足」としてあるまじき行為だと気づいた。
きっと彼らは「なんちゃって二の足」だったんだろう。

真の「二の足」は依頼が届いて開いたら、とりあえず回答しないでいったん閉じる。
最低でも一晩は寝かせる。
通常は数晩寝かせる。
これぞ「二の足」の真骨頂。
理にかなってる。

その後は大きく分けて、2つのパターン。

1つめは、「遅くなってすみません」。
「回答したつもりになってました」「なんて答えようか考えてたら時間が経ってしまいました」などの前置きを経て、いくつか回答が並んで、並べてるうちに不思議な広がり方をして、どんどん広がって、急に終わる。
「とりとめのない答えですみません」「取り急ぎここまでで、また続きを送ります」「的外れだったら無視してください」などで締める。

2つめは、「了解!まかせてください」。
ただし、そのまま時間だけが過ぎ、回答は届かない。
なるほど、なるほど。
一貫性がある。
スジが通ってる。
勉強になる。

それで考えた。
おそらく「二の足」さんたちは、なんであれ、自分の慣れ親しんだパターンを繰り返すのがかなり好きなのだろう。
二の足を踏むことにあまりにも慣れているので、二の足を踏まないというのは怖くてできない。
で、安心するために、いつもどおり二の足を踏む。

楽観的なら、そのまま忘れる。
二の足を踏んだ状態で寝落ちするようなイメージ。
悲観的なら、二の足を踏んでいるうちに、すでにある程度の時間が過ぎ、そうこうしているうちにさらに時間が過ぎ行くことに焦る。
二の足を踏んだ場所がぬかるんで地盤沈下して、もう足を上げただけじゃ前に進めなくなってるイメージ。

いずれにしても、二の足を踏むというのは、そのことによって、そこから動くことを大幅に難しくする。
自ら招いているとはいえ、「二の足」さんたちには私の知らない苦労や困難がありそうだ。

「二の足」さんたちは想像力が豊かである。
瞬発力はないので、エンジンのかかりはよくないが、いったん考え始めると、いろんなことを自由に際限なく思い描き、止まらなくなる。
時間を置いたためにハードルが上がったり、何かを挽回しようという気持ちが働くのかもしれない。
もちろん、不安や心配もムクムクわいて、無限に広がる。
この想像力は、おそらく使い道のある能力だろう。

が、その想像は突然遮断される。
「二の足」さんは急に我に返るようなところがある。
で、諸々全部ひっくるめて、できればなかったことにしたくなる。
その完成度への不満からより慎重になるのか、あるいは「最終的にはちゃんとできた」という満足から成功体験として記憶されるのか、とにかく何らかのhard-wired が起きて、次の「二の足」につながる。
ダ・カーポ。

この経験から私が学んだのは、「二の足」さんたちのパターンの内容と、そのパターンに対する彼らの愛の深さ。
コーチング的には、これを踏まえて、たとえば「二の足」さんたちが瞬発力や決断力や集中力をつけたい、とか、論理的に考え、端的に説明したい、とか、有言実行、初志貫徹したい、などの望みを持った場合にどう導いていくとよいか、だいたいの備えができた。
要は慣れ親しんだパターンを絶てばいいんだけど、ただ、まぁパターン愛が強いので、手ごわいわな。

それはともかく。
集まった不安や心配を項目別にまとめて、それぞれに対して「怖くないよ」「大丈夫だよ」ってな感じで答えを載せてみた。
TED翻訳体験+英語学習ワークショップ FAQ
不安を理解できてない私が回答しているので、これで答えになってるのか、不安を減らすのに役立つのか、さっぱりわからないが、まぁないよりはマシかしら。

前回からの繰り返しになるが、私が「二の足」さんたちの背中を押す必要があるのか、そこまでする必要はないのかは、わからない。
まだ結論を出すには早すぎるので、しばらく様子を見るが、今のところはどっちかというとそんな必要はないような気がしている。
誰かに背中を押された勢いで、うっかり、なんとなく始めても、そのあと続けられなきゃ意味がないだろうからねぇ。

【後日追記】
続々・二の足 (2016/6/6)につづく。

“続・二の足” への 2 件のフィードバック

  1. 「二の足踏んだら三の足」 という記事を書いてみました。

    でも結局、「四の足」 が出現するかもしれませんね。

  2. ご紹介ありがとうございます。選挙に関しては、「二の足」さんを熟知した人たちがそれを利用することで、戦略的に「二の足」が強化されているという面があるように思います。

    私の知る限り、教育には(本来の選挙と同様に)「二の足」を促進させるような場面はあり得ないと思いますが、“教育風”ビジネスでは「二の足」に利用価値を見ている気がします。「二の足」さんたちはそのあたりの見極めが苦手なので、「とりあえず全部に二の足を踏んでおこう」となっているのかもしれません。

    「それは防衛にも安全にもならないよ」ということを理解してもらいたいですね。

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