Kamome

『かもめ』の絵本のおかげで、なにやら昭和な本屋を体験。


震災から5年で、いろんな情報が入ってくる中、『かもめ』の絵本を知った(参照1 参照2)。

で、まぁ高校生に使ってもらう寄付がてら、何冊か買おっかな、と思った。
でも、ひょっとしたらこの地域に住む日本人で、他にも興味を持つ人がいるかもしれないし、他の人の協力を得られたら、支援として私の微々たる自腹よりずっと大きくなるので「よかったら、ご一緒にどうです?」と声をかけてみた。

私の感情や反応、考え方は5年前と変わらない。
声をかけた人の中には5年前の支援活動のことを覚えていて、その時の私と今の私を重ねて考えている人もいた。
でも今回は、5年という期間で学んだレッスンを踏まえ、5年後であるという現実を踏まえて、5年前とはずいぶん違う方法を取った。
結果は40冊のまとめ買い。
日本人の多くないこの地域で、1週間程度の短い期間、直接的な伝言だけでよく集まったと思う。

それはいいんだけど。
注文からお届けに至るまでのプロセスが、思いがけず印象深いものになった。

まず注文。
3/11をはさんで声かけをして、募集を締切り、注文しようと思ったら、その週は本屋が丸ごとお休み。
著者が勤務する大学の本屋だから、大学の春休みの間はきっちり休んでいたのだった。
斬新。

それで気づく。
本を買うとなれば、ほぼAmazonしか使わなくなって久しいので、「本屋が休む」という概念がいつの間にか抜け落ちていた。
しかも9連休。
でも、そっか、そういうこともあるのか。

そして注文は休み明け早々に処理され、発送された。
到着日をもとに、各配布係との受け渡しの相談をして、朝から夕方までに4人の配布係に会う計画を立てた。
到着予定日。
荷物は予定どおり届き、ドアのところに中くらいの箱と小さめの箱が置かれていた。
ん?

箱を開け、中身を確認。
中くらいの箱は隙間なく入っているが、小さいほうは余裕がある。
半分ずつじゃないのね?
本はランダムに著者のサイン入り。
自由だなぁ。

数を数えながら、配布拠点ごとに仕分け。
11でしょ、9でしょ、4でしょ…
ん?
なにせ数字に弱い私のこと。
もう一回。
11でしょ、9でしょ、4でしょ…
んん?

5冊、足りない。
念のためFedExのサイトで確認したが、3箱目はなさそう。
本屋に電話。
オンラインの部署につないでもらい、詳しく調べて20分後に折り返しをもらうことになった。
受け答えからして、みんな真面目で親切そうな感じ。

約束の時間内に折り返しがかかってきた。
このへんがきっちりなのも、アメリカでは当たり前じゃない。
電話口には真面目そうな女の子。
「H大学書店のGと申します。本当にすみません。私が入れ間違えちゃったんです」。

それで気づく。
おぉぉ、本の発送は完全手作業なわけか。
アマゾン的な注文で、もし部数に不足があれば、それは「入力間違い」となりそうなもんだけど、そうか、「詰め間違い」っていうのもあり得るんだよね。
それであの不思議なバランスの冊数で、ランダムにサイン本が混ざってたのか。

「不足分はすぐにお送りしますが、あいにく在庫切れだったので、いま発注を済ませました。早ければ明後日、入荷次第発送して、最速で週末、遅くとも週明けには届くようにします。ごめんなさい」
声のトーンから、どことなく凹んでいるのが伝わってきて気の毒になってしまう。
「アメリカ人は謝らない」なんて神話はどこへやら。

「わかりました。それでいいですよ。あの、今後の参考までに、たぶんだけど、中くらいの方の箱、あれ満タンで30冊と思ったんじゃないかな。それで小さいほうに10冊入れてくれたんだよね?実際は満タンで25冊しか入らないので、それで5冊足りなくなっちゃったんだと思うよ」
「あぁ、そうだと思います。なんにしても私が間違えました。すみません。入荷後、発送したらメールでお知らせします。」

というわけで、配布の一部を延期とさせてもらい、無事に届いた分だけ先に配布。

で、約束どおり2日後の午前中にGからメール。
メールなんだけど、手書きかよって雰囲気の挨拶と、発送のお知らせと、追跡番号と、”Once again, I apologize for the inconvenience.”
まだ謝ってる。
この子は前世で日本人だったんじゃないかしら。

これも全部ひっくるめて、『かもめ』という絵本の演出だと思えばいいよね。
事の始まりは悲しい悲しい出来事だったけど、そのために『かもめ』に関わる人が増え、『かもめ』が動くたびに、そこに関わる人たちの善意が、穏やかに、自然に引き出されているような気がする。

ボートを見つけた人も、日本へ返そうと提案した人も、実際にボートを運んだ人も、陸前高田へ行った高校生も、アメリカから来た高校生を受け入れた陸前高田の人々も、その話をもとに絵本を企画した人も、書いた人も、売る人も、買う人も、届ける人も、受け取る人も、みんな、自分以外の誰かのことを考えている。
どの支援がどれより有意義だとか、どの支援がどれより優先されるべきだとか、難しいことはわからないけど、とにかくみんなが小さな思いを行動に変え、それをつなぎ、積み重ね、最終的には現実的な意味で、高校生の交流を支えることになる。

キレイゴトと言う人もいるだろう。
不謹慎や自己満足や偽善あたりのモヤモヤが渦巻くかもしれない。
賢くも正しくもなくて、納得いかないかもしれない。
賛同するもしないも自由。

でも、世の中にはこういう出来事が実在するんだと知って、ほっこりしたり、じんわりしたりできたほうが、なんというか、豊かだよなぁと、私は思う。

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