早とちり

見る・聞く・読む・買う、などの行動と、好みや支持は別のものだと思うんだけどなぁ。

わかりやすい例を挙げるなら「付き合いで顔を出す」とか、「仕事のために必要な場所へ行く」とか、あるじゃん?
その行動を取り上げて、「よっぽどお好きなんですね」とか、「私もそこ、大好きでよく行きます」とかって、的外れなコメントだと思うじゃん?
そういうことだよ。

付き合いや仕事じゃなくても、たとえば世の中のことを知っておくためにブックマークしているブログや購読している新聞や雑誌があるのは、何ら不思議なことではない。
しかし、「定期的に読んでいる」というその一点だけを根拠に、そのブログの書き手を応援しているとか、新聞社の方針に全面的に賛成しているとか、雑誌に登場する人全員のファンだとかいうのは、早とちりだと思う。

興味はある。
見る・聞く・読む価値をある程度は認めている。
生理的に受け付けないとか、不愉快であるとか、エネルギーを吸い取られる(参照)などという避けるべき理由が特にない。
有料のサービスで、価値に見合う金額であれば、買う。

賛成できない場面もある。
好きじゃない部分もある。
むしろ嫌いなところの方が多いこともある。
途中で何かが変化して、印象が変わることもある。
そのことが、「見る・聞く・読む・買う」などの行動に影響する場合もあるし、しない場合もある。
それはそんなに珍しいことかしら。

たとえば「好きじゃないけど続ける」ということ。
そこには何の矛盾もない。
完璧主義じゃなかったり、ミーハー体質や盲目性が欠けている人ならわかりそうなもんだと思うんだけど。
それも少数なのかな。

アメリカに長年住んでいる、とか、英語を使っている、とかもね。
「私も大好きなんですぅ」なんて“共感”されても困っちゃうんだよ。
ま、「苦手」を元手に行動するというのが一般的でないらしいことも、「好きでいてほしい」という願望が強いらしいことも、知ってはいるので、いいんだけどさ(参照)。

「ぜひ聞かせてほしい」「読みたいです」「お会いしたい」「やってほしい」なんて言われると、普通はうれしくなるんだろうね。
私のような超マイナス思考の人は「あぁぁ、マズイことになった」と思っちゃう。
で、「伝わらないんだろうな」「批判されるんだろうな」「うまく説明できないんだろうな」「答えられないだろうな」「期待を裏切るだろうな」「凹むんだろうな」などなどを経て、「でも、しょうがない」とあきらめて、しぶしぶ腹をくくるんだけどね。

ま、いいんだけどさ。

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