Sneak In

大学院の職員選考プロセスに混ぜられて、スカイプ面談を見学してきた。


どこの学科でも職員採用はときどきあって、PhD学生はそのプロセスに参加するのがアメリカでは普通。
PhD学生は研究者の卵なので、自分たちとともに学科および専門分野の発展に寄与する人材を選ぶ責任があるのと、“明日は我が身”でもあるので、就活を見据えて先輩の姿を見学するという意味がある。

今学期は特に師匠がチーフとなって、テニュアで言語教育系の研究者を雇う選考プロジェクトが始まったので協力せざるを得ない状況になっている。
来月には候補者のトップたちが実際に来校するので、その手配をしたり、プレゼンテーションを見に行ったりするのが仕事の一部。

ただ今回はその手前のスカイプ面談。
昨日の今日で急に呼ばれた。
聴衆を招き入れるプレゼンテーションとは違い、プロジェクト委員の大教授しかいない部屋の隅っこにぽつんと私だけ、異物混入。
優秀な若手研究者ががっつり審査される場に立ち会う。
ひゃー。

師匠のタクラミはだいたいわかる。
私に、自信あふれる態度や、自分を売り込む方法を学ばせたいのだ。
うーむ。
いろいろと思うところはあるが、ま、貴重な機会を与えてもらえるのはありがたい…かな。

審査されているのは倍率80倍中、すでに10倍まで勝ち上がってきた候補者なので、面談について、私には何も言うことがない。
ただ、面談のやり取りを間近で見たことで「sell oneself(自分を売り込む)」ということに対して考えを改めることになった。
これまで私は、「売り込む」ということについて、なんというか、低レベルで薄っぺらなニセモノの文脈ばかりを想定していたのかもしれない。
そして、売り込むことに嫌悪感を抱いたり、どこか気持ち的に引いてしまっていたのは、その文脈に原因があるのであって、売り込む態度そのものに対してではなかったのかもしれないと思った。

なあなあの馴れ合いも、不透明でブレブレな基準もないアメリカのアカデミアの上層で、ハッタリや付け焼刃など通用するはずがない。
そんな場で大教授たちを相手に、トップクラスの若手研究者が立派に行う「売り込み」は正当で公平でふさわしく、至極当然のものだった。
そもそも正当な売り込みができなければ候補者のトップにすら残れない。
「売り込まない」や「売り込むことができない」は、とても不自然で無意味で、無礼でさえあるのだと気づいた。

見る人が見れば、ちゃんとわかる。
それは確かにそうなんだけど、私はその意味を少し履き違えていたような気がする。

そして正当な場で正当な売り込みを実現するためには、自分の足元を固め、実績を積み、知識を蓄え、更新し、考えを深め、表現する機会を持ち、フィードバックをもらい、自分の意見や信条に磨きをかけ続けることが大切。
ま、そりゃそうか。
みんなそうしてるんだよね。

この世界での戦いにすでに足を踏み入れ、見事勝ち残っているすべての先輩と友人たちを、改めて心から尊敬する。

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