発音指導

発音指導について、思うこと。

地元のESLに通う友人2人が、そろって英語の発音指導を受け始めたと言う。
講師は元大学教授の男性で、おそらく英語母語話者。

そのうちの1人から、ある母音の発音について「何度も注意されるんだけど、どうしたら直るだろうか」と相談を受けた。
講師は「違う」とは言うけど、どこがおかしいかは説明できないらしい。
あくまでもお茶を飲みながらの雑談だったので、彼女の普段の日本語の発音から判断して、思い当たることを伝えた。

彼女たちの英語学習には切迫した理由があるわけじゃない。
日本では、周りに英語を使う人が少ない環境にいて、いずれまたそういう環境に戻る。
だからこそアメリカ滞在中に英語学習を気軽に経験して、英語母語話者や他の学習者とマメに交流するのは良いことだと思う。
日本に比べると格安で質の高い指導を受けることも可能なので、手当たり次第に受けるのも、まぁ悪くはないだろうと思う。
事実、彼女たちはESLにも長く楽しそうに通っているし、この発音指導にしても、受けるようになってから「聞き返されることが減った」というから、友人としては、それはよかったね、と思う。

ただ一方で、私は学習者が発音にこだわることをあまりよく思っていない。
私は基本的に発音指導はしない。
指導するのはコミュニケーション上、特定の問題が繰り返し生じている場合に限っている。
理由は、大きく分けて3つ。

1つめは、学習におけるマイナス要素。
特に日本人英語学習者はコンプレックスとも言えるほど自分の英語の発音を低く評価しており、自分以外の日本人の発音にも厳しい。
日本語の中でも、たとえば関西弁ネイティブは非ネイティブの発音をすぐに発見して取り締まる(参照)。

「ダメ出しや劣等感を糧にがんばる」というマイナスからスタートさせるやり方や、「そんなんじゃ恥ずかしいですよ」と半ば脅迫して、恥ずかしくないようにがんばらせるやり方もあるにはあるのだろうけど、私はそれらを好まない。
これらのやり方は学習効果という意味で科学でも否定されつつあるが、それより何より、特に日本人にとっての英語学習なんて、イヤな思いをしてまでやるようなこっちゃないでしょ、と思っている。
ある音の発音という、ほんの小さな一部でしかない要素によって、英語学習全体に対する意欲が左右されることになってはまずいと思う。

私のモットーは、学習者のできる可能性を伸ばすこと。
本人の気づいていない、学習者の長所を見つけて、本人が納得できるかたちで伝えること。
現状、よくある発音指導ではそれを実現しにくく、少なくとも私はまだ適切なやり方を見つけられていない。

2つめは、コミュニケーションに支障が出る可能性があること。
発音指導を受けて、ある特定の発音の仕方を集中的に練習すると、当然、学習者の意識はその音に向く。
単語や文や、それ以上の塊に対する意識は弱まる。
特に習熟度の高くない学習者では、これによって意味やコンテクストを見失うことが増える。

実際、今回相談を持ってきた友人が注意を受けるのは、いわゆるPhonicsで母音単体で発音した場合のみで、単語レベルの発音では注意されないと言っていた。
私は「単語で問題ないなら、気にすることないじゃん」と言った。

通常、ある音を単体で発音するようなことは、発音指導の場を除くとほとんどない。
にもかかわらず、発音指導で注意されたり、繰り返し練習したりして、特定の音が記憶に強く残れば、たとえば日常会話の中でも、どうしてもその音が気になるようになる。
「あ、またこの音だ」と、むしろ苦手意識が高まり、「こうだっけな。いや、こっちかな」と迷いが生じ、かえってその音が発音しにくくなり、そのことが原因で、それまでできていた会話ができなくなる、ということになりかねない。

3つめは、発音の正確性と一般的な言語使用との間に大きなズレがあること。
このところ引き続き考えている文法(参照)と同じく、発音には社会的な面があるので、そりゃ、ある程度はルールに則って、相手に伝わりやすい発音を心がける必要はある。
あまりにも独特な発音を「私はこれで通すのだ」と頑張っても、多くの場合、それは通らない。

しかし、発音の社会性は文法の社会性よりもずっと許容範囲が広いと思う。
少なくとも現代アメリカにおいて、あるいはいわゆる“世界共通語”としての英語においては、いわゆる教科書どおりの“正確な”発音以外の発音が、ごく普通に使われている。
その事実を無視して、“正しい”発音以外を許容せず、矯正を施すというのには賛成できない。

友人たちを指導しているのはたぶん音声学を専門とする英語母語話者で、この地域に住んでいるということは、きっと日頃からNorthern Cities Vowel Shift(参照)にまつわる母音の変異なんかも気になってしょうがないんだろうな。
気持ちはわかる。
そして親切で、自分の知識を外国人のために生かそうと、指導を提供されているんだろう。
が、しかし。
そのレベルの厳密な発音の差異は、母語話者間では笑い話にできても(参照)、英語そのものを学習中の学習者には適用しないでほしいと思う。
“うちのコたち”を惑わせないでほしいと思う。

誤解のないように書き添えておくが、私は発音指導そのものを全面的に否定しているわけではない。
役者や歌手が、セリフや歌詞といった“人工の言葉”を対象に“正しく”発音するというのは、芸術性を損なわないために有効である。
また、音楽家など音に敏感な人は、自身の発音や他者の発音を学問的に分析し、理解する経験をするとラクに暮らせるようになることが多い。
母語話者や、それに近い上級者が、個人的なこだわりで、なんらかの発音を習得するために指導を受けることもあるだろう。

私が賛成できないのは、まだ英語使用者として不安定な段階にある学習者への過度な発音指導。
彼らの学習動機や目的や現状を総合的に見て、発音が唯一にして最大の課題として浮上した場合はともかく、そんな非常に稀なケースを除いて、発音指導が彼らの学習に効果的に働く可能性は低いと思う。

「指導を受けるようになってから、聞き返されることが減った」という友人には、「それはよかったね」とともに、「発音が変わったということもあるかもしれないけど、発音を習っていることで自信がついて、はっきり、大きい声で言えるようになってるせいもあるかもよ」と言っておいた。

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