ふんどし

「他人のふんどし」が機能しなくなってきてる気がする。
どうかな?

「(他)人のふんどしで相撲を取る」とは、自分の目的のために他人のものを利用したり、他人に便乗したりすること。(参照1 参照2)。
自分の実力では得られない利益を得るために他の人が積み上げたものの上に即席でのっかるので、計算高く、ずるいイメージが付いている。
リスクフリー、努力なしで甘い汁を吸うというわけだ。

おそらく「他人のふんどし」が成立するためには、「不当にちゃっかり利益を得る」という部分がなくてはならない。
つまりせっかく他人のふんどしを借りて相撲を取っても、結果的に負けちゃったら、カウント外なんじゃないかな。
のっかってみたものの、たいして得にならなかった場合などは「他人のふんどし」に当てはまらないんだと思う。
“他人のふんどし未遂”とでも呼ぼうか。

で。
主にインターネットの普及によりこの「他人のふんどし」は機能しにくくなってきているんじゃないかと思う。

やりたいことがあるなら起業でもすればいいし、言いたいことがあるならブログにでも書けばいいし、YouTube で流してみてもいいし、どっかのTEDxにでも登壇すればいい。
当事者に直談判するツールもある。

アクセスの多そうな場を狙ってコメントに見せかけた宣伝や自己アピールを仕掛けたり、SNSのシェアやリツイートを繰り返したりして「他人のふんどし」を試みる人もいるけど、“未遂”止まりなんじゃないかな。
バレバレだもん。

それとも、「他人のふんどし」が機能する世界は残っていて、私がそこから外れている、というだけなんだろうか。
所属先、居住地や肩書きなどの“名前”だけで、いまだに「すごーい」という反応をする人たちはいるようなので、その人たちの世界では「他人のふんどし」は健在なのかもしれない。

幸い、私の周りにはそういう人たちがいなくなってきている。
むしろ“名前”があってもあえて使わないことを心がけている人が多いし、ひょっこり“名前”が出てしまっても、それはそれとして、本質を見つめ、じっくり語ることができる落ち着いた人が多い。
彼らは「自分のふんどし」を持っている。

そして彼らの周りには、彼らの「ふんどし」を狙って擦り寄ってくる人や、ただのミーハーでわちゃわちゃしてる人もいる。
まぁ、ざっくり、“ファン”というようなところだろう。
彼らは“ファン”に対し、ときには気前よく「ふんどし」を貸してやったり、勝手に借用されるのを見逃してやることもあるのだろうと思う。
それはしょうがないし、どうでもいい。

しかし彼らは“ファン”と友人を明確に分けている。
彼らが友人に選ぶ人は、それぞれに「自分のふんどし」を持ち、お互いの「ふんどし」を必要とせず、そもそも「他人のふんどし」を借りたこともなければ、借りる気なんてさらさらない人たち。
彼らにとって「ふんどし」は“ファン”と友人を振り分けるフィルターの役目をしているのかもしれない。

ふむ。
「自分のふんどし」を持っている人たちの世界では、「他人のふんどし」はその粗末さが露骨に見えてしまって勝負にならないから機能しない、ということかな。
確かに、「他人のふんどし」を好む人の世界には「自分のふんどし」を持つ人が少なそうだ。
なんだ、要はただのルイトモか。

私はあいかわらず複数の世界の橋渡しをしたり、両者の間を行ったり来たりしているが、「ふんどし」に関しては「自分派」に偏ってきていて、「他人のふんどし」を必要としない人や「他人のふんどし」が機能しない場面に出会う確率が高くなっている、ってことなのかも。

ふむ。

【関連記事】
アイノコ (2014/12/6)
許可証 (2011/5/1)
すごくない (2007/1/28)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です