凹まない

落ち込みそびれて、傷つきそびれて、そのまま大人になってしまった人たちのこと。

私は“あきらめ推進派”である(参照)。
「あきらめる」ということを忌み嫌うのはやめて、「あきらめない」を殊更に美化するのもやめて、「あきらめる」が本来もつ良さを見直そうよ、と思っている。

そして私は学習を応援する立場なので、たとえ予定どおりに行かないことがあっても、希望に反する結果が出てしまっても、それはそれとして、そこから次につながる何かが見つかれば、それでいいじゃん、とも思っている。

が、しかし。

計画倒れ/負け/失敗の類を招いたときに、「ま、それはそれで」と涼しい顔をする人がいる。
「成功だけが目的じゃないから」「いい経験になってよかった」、気の強い人だと「むしろ、これでいいんです」、もっと気の強い人だと「こうなるとわかってました」、さらに気の強い人だと「実は最初からこれが狙いだったんです」。

いや、立ち直るのは大事なことだよ。
切り替えが早いのも、いいことだよ。
「しょうがない」って、私もしょっちゅう言ってるし。
「打たれ強い」「飄々としてる」っていうのは、たぶん褒め言葉だし。

でもねぇ。
そうじゃあないんだなぁ。
言葉って通じないね。

落ち込まない、というか、落ち込めない。
傷つかない、というか、傷つくことができない。
子どものうちにじっくりと落ち込んだり、しっかり傷ついたりする練習をしそびれてきたのだろう。
親が助けすぎたのかな。頭が良すぎたのかな。
いや、それも「それはそれで」いいんだよ。
成長過程で嫌なことが少なかったというのは、幸せなことだ。

ただ、子ども時代の“よいこと”が、大人の世界で“よくないこと”に転じるという例はたくさんあって、私はこの「落ち込まない・傷つかない」を、子どものうちはよくても、大人にとってはよくないどころか、とても危険なことだと思っている。
一言で言えば、「愛されにくい」ということになるだろうか。
でも、そんなこと言ったら、「そんなこと、わかってます」「むしろ、その方がいいと思って、そうしてるんです」、あるいは「ご心配なく。挫折ぐらい経験済みです」とか、反発されそうだな。
そんなことしたら、また傷つきそびれるのに。

落ち込んだり傷ついたりする機会に恵まれないうちに、感情をごまかし、正当化し、自己弁護する技を身につけ、それが癖になってしまった人たち。
願わくば、一日も早く、落ち込み、傷つく経験をしてほしい。
小さいものから始めて、だんだん体を慣らし、ちゃんと落ち込めるように、傷つけるようになってほしい。
それが叶わないなら、ぜひよくできた人たちに囲まれて、優しい人に救われて、ハレモノ扱いにも気づかず、失敗なしの完璧な人生(本人談)を全うしてほしい。
早く経験するか、一生経験しないか、どっちかであってほしい。

年齢を重ね、知恵をつけてしまってからの「初落ち込み」や「初傷つき」はあまりにも気の毒だから。

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