Judge

見た目や国籍や、母語話者、非母語話者などについて。

S大学の学生たちが市内観光に連れて行ってくれた。
朝集合、ランチをはさみ、細い路地を歩いていたとき、日本発祥らしいお店の前を通りかかった。
初めて見るお店だったが、店名からしても、商品の雰囲気からしても、壁に書かれたネイティブな日本語からしても、日本人が経営しているのは間違いない。

「今の、日本のお店だったよ」と言うと、「日本のこと知ってるの?」と聞かれた。
ん?と思ったけど、冗談と見なして、「まあね。多少」と答えた。
すると「日本に行ったことはある?」と来た。
さすがに「冗談だよね?」と確認したが、真顔で「なんで?」と聞かれた。

で、生まれも育ちも日本で、アメリカにはただ留学のために住んでるだけだとか、家族はみんな日本にいて、年に1-2回帰るとかいう説明をした。
「アメリカ人だと思ってた」と言うので、「アメリカ人と言ってもいろいろだからね」と返しつつ、「それにしても、言語学の研究者なんだから、朝からずっとしゃべってて、私の英語が日本語訛りだとは思わなかった?」と言ったが、思わなかったらしい。
ま、「アメリカ組」の一員として参加しているので、ひっかけ問題ではあったよね。

それで気がついた。
私は英語を話すとき、自分が非母語話者だということがバレているのを前提にしている。
普段、私の周りにいるのは英語教育の専門家や在米の英語非母語話者ばかり。
彼らは必然的に非ネイティブを見破ることに長けているわけだが、私はむしろそれを“普通”と思っているのだ。
だから、アメリカでアメリカ人と間違えられると、それは“普通じゃない”わけで、モノリンガルにありがちな言語的無頓着、あるいはアメリカ的マインドセットのせいにしていた。

アメリカ人同様、“XX人と言ってもいろいろ”に慣れている彼らヨーロッパ人にとっても、肌や目の色は国籍の特定をする材料にはならない。
ヨーロッパの言語を複数話すバイリンガルで、言語を研究する専門家であっても、英語が専門でなく、英語圏に住んでいるわけでもなければ、英語の細かいことまではわからない。
だから私が100%日本人の見た目で、日本語の残り香がある英語を話していても、日本人だと決めることはないのだ。

そう考えると、日本人の、見た目だけで日本人だと判断する/決めつける傾向は、先進国としてはかなり異端かもしれない。
日本ではたとえ英語を話していても、ほとんどの場合、私は日本人と思われているし、日本語がネイティブでない日系アメリカ人の友人は、日本人に日本語でガンガン話しかけられてタジタジしていた。
逆に、肌や髪や目の色が日本人風でなければ何の迷いもなく「ガイジン」枠に入れられ、「日本語上手ですねぇ」と感心される。

ただし、これは日本に限ったことでもない。
学生の1人が、自身は間違いなくフランス人と判断される一方、親違いのきょうだいが「ナニジン?」と聞かれることについて苦言を呈していた。
フランスにもそういう傾向はあるというわけだ。
アメリカ人がすぐ「アメリカ人でしょ」と思っちゃうのも、表裏一体、中身は同じなのかもしれない。
決めつける人はどこにでもいる。
そして決めつけをするのは、視野の狭さや配慮のなさ、器量の乏しさと関連づけられ、教養を誇りとする彼らのような学生たちは「すべきでない」と考えて、意識的に排除しているところもあるのかも。
そういう短絡的な判断をしない人が全体に占める割合を“民度”と呼ぶのかもしれない。

グローバルを本気で進めるなら、このあたりも考えていかなきゃいけなくなるよね。
がんばれ、ニッポン。

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