Mindfulness

見え方、気づき方、暮らし方、生き方には一貫性がある、という当たり前の話。

アメリカに住んで何年も経つのに「えぇっ、今まで知らずに過ごしてたの?」と思わせる人が結構いる。
会社のお膳立てで赴任した人や、親や配偶者が全部やってくれるような人はともかく、ひとりで何でもしてきたような人でも。

たとえば、外国人にとって最重要のビザやパスポートのこと。
誰にとっても重要な法律や税金や警察に関わること。
どこへ行けば何が買えるとか、いつまでに何をするとか。
文化や風習、マナーとか。
「知っとかないとやばいでしょ」というものから、「普通にしてれば気づくでしょ」というものまで。

ま、「重要」の感じ方も人それぞれだし、鼓膜が振動したからと言って“聞こえる”わけでもなく、網膜で焦点が結ばれたからと言って“見える”わけでもないしね。
「聞いたことない」「見たことない」と本人が言うんだから、そうなんでしょう。

“普通に”と言っても人それぞれ。
このブログを読んでいる人に、「よく毎日書くことがありますね」「emi さんの生活には本当にいろんなことが起きますね」と言われるが、私にとってはこれが“普通”。
私に言わせれば、みんなの生活にも起きてるよ。

「えぇっ、今まで知らずに過ごしてたの?」という出来事は、在米日本人の場合わかりやすく発生するが、これ、別に日本に住む日本人でも、どこに住むナニジンでも同じなんだろうね。
世の中をざーっくり生きている人は大勢いる。
だからこそ「失って気づく」なんて言葉がある。

そのことがわかってから、私は、ざっくりな人が見落としていそうなことのうち、特に重要なものだけは「危ないよ」と伝えることが増えた。
それ以前は、そこにあるものは誰にでも当然見えていると思っていて、あるのに見えていないということが想像できていなかった。
もちろん、受け手の準備が整っていないうちは、気づいても伝えられずじまいなので、「あぁ、危ないなぁ」とやきもきするだけだけど。

去年あたりから、「Mindfulness」が日本でも流行りだしているらしい。
「マインドフルネス」とカタカナになっているようだが、mind(心、精神、感じ方、意識)が、ful(じゅうぶん、完全、たっぷり)の、ness(であること、状態)なわけだから、訳すなら「五感をフル活用すること」じゃないかと思う。
心を鎮め、周囲を注意深く観察し、しっかり感じること。
自分勝手な判断や、性急な解釈をしないこと。
それによって関連語である「Emotional Intelligence (EQ)」(感情知性)、「Resilience」(回復力、弾力性)、「Focus」(集中力)がじんわりと現れてくる。

私は第5感までをフル活用していないと第6感の出番がないと思っているが(参照)、脳科学的にはワーキングメモリーに空きスペースを作る、ということになるのかな。
ま、そのへんはどっちでもいいさ。

今さら言われなくても、とっくに知っている人。
今後も知らないままの人。
その中間には「おぉ、なるほど!」と目からウロコを落とす人もいるが、それでも一晩経てばすっかり忘れてしまう人もいる。
情報は、届けなきゃいけないところに限って届かない。
届いたそばから曲解や誤解が生まれる。
二番煎じ、三番煎じ、超単純化で、原形を留めないものが大流行したりする。

啓蒙活動とは、かくも微細で微弱で地道で、成果の少ないものなのだなぁ。
だからこそ、本物は貴重で美しく気高いと私は思うが、その感じ方も、人それぞれ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です