『英会話不要論』

『英会話不要論』を読んだ。

著者は英文学者。
「英語教育の分野では、素人」(p.182) とおっしゃるが、これはあまりにも謙虚な発言。
確かにこの本は著者の個人的な印象や経験談が中心だが、著者は長年、日本の大学や月刊誌『英語青年』(参照)誌上で英語を教え、多くの日本人学習者に接して来た人。
英語教育が専門でないとは言え、教え子には、のちに英語教育の専門家として活躍する人物も含まれ、日本の英語教育のPractitioner として多大な貢献をされている。
その豊富な経験と、英語という言語についての知識、主に翻訳という切り口で観察した日本人学習者の特徴を紹介し、最新の資料も積極的に取り入れて、厳しい口調で、昨今の学習者にまとわりつく日本の英語教育に関するmyth をバッサバッサと斬っていく。

myth というのは、小学校英語とか、英語公用語化とか、いわゆる“受験英語”とか、そのへんのことね。
これらに関して何か言ったりやったりしたい人は、何はともあれ、とりあえずこの本を読んでからにしてほしい。

不思議なのは、こうした本が出ているにも関わらず、世間はいまだにmyth から解き放たれていないということ。
この著者にしても、大津・江利川・斉藤・鳥飼の「4人組」(参照)にしても、日本の英語教育に携わり、学習者を直に観察し、自身の英語能力が高く、第二言語の学習および使用経験が豊富なプロたちが見解を一にし、学習者や、その周辺にいる指導者や家族や、教育や産業や、日本の将来のためを思って、こんなに懇切丁寧に、切実に、真剣に訴えているのに。
誰でも手に取れる場所に情報を置き、専門家ならではの解説をつけ、無料~安価で提供してくれているのに。
なぜ届かないのか、本当に不思議。

世間が信用するのは、決まって英語教育とは無縁の人たち。
学習者を顧客と見なし、“教育”を商材にカネ儲けを企む人や、自身の英語力についての自慢や自己顕示に忙しい人たち。
キャッチーでキラキラしていて、軽くてやわらかい話をする人たち。
仮に彼らにこの本を与えても、急に彼らの良心が痛みだし、真面目に学習者のことを考えてくれるようになる、なんてことは残念ながら起きないだろう。
世間を振り回し、むやみに学習者を不安にさせることをやめてはくれないだろう。
それでも世間は彼らの言うことを信じて疑わない。

名のあるプロたちが大々的に、誠意を持ってやってもちっとも伝わっていかないことを、名も実績もないひよっこの私がか細い声でささやいたところで何が変わるわけでもない。

はぁぁ。
切ない。

まぁ世間の方にも何かしらの理由があって、意識的に本質から目を背け続けているのだろうから、そこを突いて商売をする人がいるのは仕方がない。
私にできるのは、世間がプロの声に耳を貸すようになり、目を覚まし、myth から足を洗って、お金や労力の無駄遣いをやめた頃に、「ようこそ。お待ちしてましたよ」と言えるように用意を整えておくことぐらいかしら。
とほほ。

一つだけ、この本の中の学習者についての記述にちょっと気になるところがあったので挙げておく。
「英語に限らず学問一般に無関心な学生、必死になって勉強することを軽蔑する学生が、無視できない程度に増加している現状を考えると、英語学習による知力増大の効果はあまり期待できないのではないか」(p.67)
「文法の知識の不足、単語を辞書で調べないという手抜き、自分で変だと思いつつも、放置する投げやりな姿勢」(p.94)
「学生の英語の学習時間の極端な少なさ、あるいは学習意欲の低下という根本のところが変えられないならば、小学校から早期教育を始めたり、トーフルを大学入試に活用したりしたところで、日本人全体の英語力が向上する筈はありません」(pp.102-3)

基本的にはおっしゃるとおりだと思う。
この傾向は、著者の言う「英語を知らなくても困らない日本の若者」(p.102) だけではなく、アメリカの大学院に留学中の日本人学生や、アメリカで仕事や子育てをしている日本人など、英語を知らないと困るはずの人たちの間にも普通に見られる。

ただ、問題として論ずるべきは、学習時間や学ぶ姿勢という表面的な部分ではなく、それらを支える学習者たちの根本的な勘違いではないかと思う。
勘違いとは、「英語はカンタンに決まってる」というもの。
カンタンだから、特に努力しなくてもできるようになるし、カンタンなのにできないのは恥ずかしい、となる。
もちろんこれには「楽しくカンタンに!」という英語屋さんの謳い文句や、「日本語は世界でも難しい言語の一つ」(p.17) という科学的な検証が不可能なmyth が大いに影響している。

先日も、仕事やお金の都合をつけ、一大決心をして、4ヶ月の“留学”をして帰国したという30代の人が、「英語圏に住めばペラペラになれると思ったのですがダメでしたー」なんて笑っていて、私は笑えなくて困ってしまった。

その人の学習時間や姿勢を非難するつもりはない。
むしろ、そうなってしまうのはよくわかる。
私にも同じ甘えがあったから。

何を隠そう、私は日本の中学~大学(学部)時代、著者が指摘する学生たちと同じか、もっと勉強していない学生だった。
必死で勉強することに対して軽蔑はしていなかったけど、そうする意味がわからず、学問に興味がないのになんとなく大学まで進み、「知識不足、手抜き、投げやり」を兼ね備えた学生だった。
おかげで学習に関する“借金”が膨れ上がり、大人になってからアメリカの大学院でその“借金”を返済し、ついでに“貯蓄”し、やがては“分配”する羽目になった。

そんなナメた学生ではあったけど、唯一の救いは、私が「英語はカンタン」と思っていなかったことだろう。
自分は勉強していないのだから、できなくて当たり前。
英語ができる人は必死に勉強した人に違いない。
怠け者の私に英語なんてありえない、と思っていた。
自分が将来英語を使えるようになるなど、とてもじゃないけど想像できなかった。
だからこそ、やるとなったら本気で取り組むより他にないと自然に思えたのかもしれない。

…ということに、今回初めて思い至った。

とはいえ「カンタン」は英語教育に限らず、世界中、どの業界でも大流行しているし、世間はカンタンでないものの存在理由を考えたがらない。
特に公教育に携わる人たちが、今さら「難しさ・苦しみ・辛さ」を打ち出して英語教育をやっても、世間はなかなか受け入れてくれないだろうね。

その点、私は個人を相手にしているので、骨のある学習者にはカンタンじゃないことを提供することができる。
ふむ。
「難しさ・苦しみ・辛さ」を前面に打ち出してみるのもアリかも?

「読書感想文」だったのに、すっかりはみ出しちゃった。
ま、いっか。

行方昭夫. (2014). 英会話不要論. 文藝春秋.

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